◆新鶴 春日神社 (にいつる かすがじんじゃ)

鎮座地

大沼郡会津美里町上平字下原2969番地

電 話

0242-54-5050

交 通

JR只見線根岸駅下車、徒歩20分

【御祭神】天児屋根命
【由 緒】 大沼郡新鶴村の沖中田部落(現在の下原地区)の鎮守である当社の由緒は、確実な資料によって摑むことはできないが、口伝によれば、芦名藩芦名盛氏が藩主の時代、元亀年間(1570~73)に新田開墾に伴って、沖中田部落が形成されたころ勧請されたといわれている。
『田中家文書』には、春日大明神の社は村より乾十町に在り 社壇は方三尺にして板葺也 社地東西十間南北二十七間也 勧請年号来由不詳 寛文5年(1665)」とあり、また戦前の拝殿改築の折、棟札が発見され「奉勧請 伊勢 春日主神 若宮八幡座 陸奥大沼郡沖中田村 延宝3年(1675)乙卯三月吉日」と書かれていたと伝えられ、沖中田部落に鎮座していた当社に伊勢大神、若宮八幡神二柱の神を合祀したことがうかがえるが、現在の祭神には表れていない。
 当村では節句の日が祭礼日となっている。節句といえば、桃の節句・端午の節句・重陽の節句が思い出されるが、むしろ「季節の大きな変わり目の日」ほどの意味合いで、現在は正月1日と7月7日と9月9日が「三節句」と呼ばれ、各戸で餅を搗いて当社に供え、御恵みに感謝し互いの息災を祝い合う。もっとも、正月は11日の御日持祭に合せ、7月は12日の伊佐須美神社御田植祭に合わせて行われる。
 正月の御日持祭は、昔は神職が氏子各戸を一軒ずつ廻り、伊勢神宮、また当社の神札を配り、歳神を祭り、新年を寿ぎ、各家々の厄祓、祈願をしていたが、現在は当日、拝殿に氏子一同が集まり、神事の後、祈願を行なっている。名称の由来は、当時各家々は神職の到来を待つ「おひまち」というしきたりがあり、この意味から始まったと思われる。
 当社はその創祀以来伊佐須美神社の神職が奉仕している。"伊勢の朝田・熱田の夕田・伊佐須美の昼田"と称して、日本三田植の一つに数え上げられる伊佐須美神社の御田植祭に、当社では挙げて奉賛して参加する。その祈禱神札は当社に一旦納めてから各氏子に頒つこととなっている。
 秋の例祭日は、「刈上げ節句・しまい節句」ともいわれ、神事に併せてたわわに稔った稲穂を前にして風雨の被害に遭わぬよう祈願している。
【例祭日】9月9日