◆神明 春日神社 | (しんめい かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
鶴岡市神明町9-31 |
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電 話 |
0235-22-0847 |
交 通 |
鶴岡駅よりバス南銀座下車3分 |
【御祭神】 | 建甕槌神、経津主神、天児屋根命、比売神 |
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【由 緒】 | 往古、大和国から春日の大神を越前国に勧請されたのを、更に当国に遷座したと伝え、後、藤原秀衡の社殿造営等もあったが、文治5年(1189)鎌倉より地頭として入部した武藤氏は、その氏神の故をもって、ただならぬ崇敬の誠を捧げた。中世における庄内地方の支配者として、この武藤氏が大梵字(大梵字、大宝寺)の城を築いたのが、今の鶴ヶ丘城の始まりであるが、その際、当社は城の西門外に新しく造営された。その後、やはりこの社を篤信した最上義光は社殿造替や44石余の神領を寄進した。慶長17年(1612)のその黒印状が今に伝えられる。ついで寛永年間、当域拡張の時、元八幡宮の土地であった現在地に鎮座され、八幡宮は末社として祀られるに至る。 最上氏の改易後は、元和8年(1622)酒井忠勝が入部し、以降、坂井市が明治4年(1871)の廃藩置県までこの地を支配するのであるが、当社もその庇護のもとに御神威の高揚がはかられた。 由来、「四所之宮」「四所大明神」と庄内の人たちの篤い信仰を集め、特に境内の「天池」と称する御池での"雩祭"は雨乞の祭として霊験ことのほか著しいという。社家の「天池氏」はそれに因む苗字である。 従来の祭礼日は3月3日であったが、安政3年(1856)から3月10日となり、また、明治6年(1873)には郷社に列せられた。 |
【宝 物】 | 懸佛=表仏像、裏銘永禄5年9月大吉日、奥村上野守源義正花押/神領地黒印=慶長17年6月4日最上義光より鶴岡四所之宮四所之大夫へ/四所大明神社額/絵馬=元禄11年3月3日春風軒常和画五條橋牛若丸弁慶六尺四方、明和5年3月吉日藤如陵画武士二騎五尺四方、その他15枚/鉾=慶長16年3月15日全鉄製長さ6尺4寸 |
【例祭日】 | 春例大祭=5月8日/秋例大祭=9月15日 |