◆平塚 春日神社 | (ひらつか かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
平塚市平塚4-18-1 |
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電 話 |
0463-31-9598 |
交 通 |
JR東海線平塚駅から大磯・二宮方面バス柳町下車、北へ徒歩1分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 承応3年(1654)写の『春日神社縁起』によると、往古、当社は今の地より南八丁の十間坂に祀られていた黒部宮が、海に近いため、たびたびの風害から現在地に遷座された。そして年代は不詳ながら「春日神社」と改称されたとある。 今日、伊勢原市熊野神社に建久7年(1196)藤原有季願主鋳造の梵鐘があり、その銘文中に、この大住の辺りは有季の曾祖父藤原盛季の福田(霊域)となり、と見える。『姓氏家系大辞典』によれば、この大住郡にある糟屋庄は藤原北家良方流の出自の地で、『糟屋系図』には、閑院左大臣冬嗣(天長3年《826》没)――良方(大蔵大輔、相州之守護として下向)――元方(父良方在国中出生、糟屋庄にて成長、粕屋太郎と号し、初めて武家に下る)――盛季(糟屋庄司)――中略――有季(梵鐘の願主)、とある。 これらのことから、当社鎮座の地というのは藤原氏と深い関係があったことが想定される。一般に藤原氏一門の国司や郡司の任地、あるいは藤原摂関領には、その土地の鎮守社として、南都春日社の御分霊が奉遷される場合が多いのであるが、当平塚の春日神社の創祀というのも、そのようなことと無縁ではなかろう。その時代も平安、鎌倉の頃と推察されるのであるが、前身社たる黒部宮というのはさらに古い時代に遡ることは間違いない。 近世江戸時代には、慶安2年(1649)8月、幕府より社領六石が寄進され、明治6年7月、村社に列格、同41年4月には神饌幣帛料供進社に指定された。 |
【例祭日】 | 8月第1日曜日=『相模国風土記』には6月15日例祭とあり、明治より8月1日となっていた。平塚本宿鎮守の腕骨祭として名高い荒い神幸祭で隔年浜降り祭りを斎行、末社黒部宮で特殊神事を行なう。 |