◆横山 春日社 | (よこやま かすがしゃ) |
鎮座地 |
伊那市伊那杉沢口9932 |
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電 話 |
0265-78-3670 |
交 通 |
JR飯田線伊那市駅からバス横山下車3分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 当社は別名「子安春日社」と称し、平安朝の長久3年(1042)の創立と伝えられる。 そのことは寛永元年(1624)の『横山子安春日社由来記』に詳しく書かれているが、本記の前半は明らかに南都春日社の鎌倉・室町頃の社記を引用した春日大社の創立縁起で、その中に登場する鹿島から奈良へ供奉してきた中臣時風(弘仁9年《818》卒)が、長久3年5月信濃の国伊那郡木曾御坂峠を越えて伊那駒ヶ岳の麓横山の西山のほとりに春日の神を斎き奉り、神殿を造立したとある。時風が春日の神を勧請したというのは年代的に不合理だが、長久3年創立を否定するものは何もない。 そして葦津姫を合せ祀って、子安春日大明神と崇め奉ったという。 この由来記の後半は『子安の池由来縁起』で、その大要は、戦国時代永禄4年(1561)、民部少輔重吉は武田・上杉の戦をさけて沢女という女人に従って伊那に落ちのびる途中、横山の奥、一の沢のある家で懐妊の沢女が陣痛を起こす。重吉は一の沢の明神池の水を飲ませ、沢女は男子を安産、源太夫と名づけた。源太夫が3歳になった時、母沢女は血の道の病で、横山杉の沢に病没する。重吉は3歳の源太夫を連れて京都に移ったが、源太夫15歳の時のある夜春日明神が現われ、今日まで成長したのはこの春日明神の擁護があったからと告げられたという。以後この明神池は"子安の池"と呼ばれ、横山の子安春日神社とともに安産を祈る人がたえない。 当社は古くから伊那の山里に祀られた春日の神で、特に婦人の出産、育児を祈る信仰が顕著にみられる神社である。 |
【宝 物】 | 鏡1面=銅製、福寿の浮彫、藤原墨重の銘/剣1振/古文書・絵画5件 |
【例祭日】 | 4月25日 |