◆阿智村春日 春日神社 (あちむらかすが かすがじんじゃ)

鎮座地

下伊那郡阿智村春日179

電 話

0265-43-2954(宮司宅)

交 通

JR飯田線飯田駅からバス「前原」下車、徒歩約3分

【御祭神】健甕槌命、経津主命、天児屋根命、三柱姫命
【由 緒】 社伝によると、当社は800年の昔、鎌倉幕府が開かれた建久3年(1192)11月15日、奈良の春日四所明神を勧請したという。
 当時の春日地区は藤原氏と関係深い京都尊勝院の寺領であった関係によるものと考えられる。当初の鎮座地は伊賀良庄(いがらのしょう)中関村片手石であったが、400年後の文禄元年(1592)、現在地の宮山に遷座され、その際、宮山の地主塚田氏が神主に迎えられて明治初年まで11代続いた。その頃はその地名をとって境(さかい)大明神とも呼ばれていたようである。
 依頼、上下の崇敬あつく、慶長6年(1601)伊那郡の代官朝日受永から3石の社領が寄進されていたが、慶安2年(1649)将軍家光から4石が寄進されて幕末まで存続した。その寄進朱印状が現在、社宝として伝えられている。また、寛文9年(1669)や正徳2年(1711)には社殿の造替や、境内の整備も行われている。
 当社の御神体は、初め奈良から迎えられた時は烏帽子(えぼし)形の黒い石に御幣を添えたものであったが、寛延2年(1749)京都の仏師により3体の神像が作られ、神殿の奥深く祀られているという。
 なお当社の御由緒沿革については、当社より昭和57年に発行された「創建790年祭記念春日神社小史」にその詳細が記されている。
【宝 物】創建時奈良御本社より奉迎の御神体=寛延2年御神像に替えられてから御神宝として神殿深く納められる/神鹿・神牛・唐獅子各1対陶製=背面に寛延3午歳11月15日・奉納者名/徳川家朱印状9通=3代、5代~14代、額4石/奉納絵馬=春日御社の図弘化3年、天岩戸開きの図
【例祭日】10月9日