◆高岡 春日神社 (たかおか かすがじんじゃ)

鎮座地

高岡市戸出春日452

電 話

0766-63-2205(宮司宅)

交 通

北陸線高岡駅より車で20分
城端線戸出駅より徒歩40分

【御祭神】天津児屋根命、天照皇大神、罔象女命、建御名方命
【由 緒】 貞観5年(863)の秋、大和の国奈良の士族吉江定明という人が大鹿一疋を伴って諸国を行脚していたが、晩秋の頃、庄川のほとりに出たとき、鹿が病気になった様子で歩かない。やむを得ず草原に野宿、その夜大鹿は不幸にして死んだ。それで屍を懇ろに葬り、供養のためここに2、3日野宿して読経を続けていたある夜、夢に白髪の老人が現われて「伴う鹿の名残りのため、この所に一村を構えよ」と告げた。
 吉江定明は、このお告げに従って小屋を作って一村の草開きを致し、また祠を建て、春日明神をお迎えして春日大明神と称した、と伝えられている。
 正徳2年(1712)社堂書上帳に「春日吉江村春日大明神」とあり、文政社号帳には「春日吉江村産神春日大明神」と記載され「射水郡二塚村神主高尾氏之持宮也」とある。慶応元年(1865)伊勢吉田神祗管領より神社号を賜わり、春日神社と改号した。なお、大正年間に水の宮(祭神罔象女命)及び諏訪社(祭神建御名方命)を合祀した。
 境内地は富山県五大河川の一つ、庄川の左岸にあり、昔から幾度となく水害に遭遇したと思われるが、明治29年7月末の庄川大洪水の折には堤防が決壊して部落内へ入水し神殿が危険となり、神点の結果総代塚本久作宅へ御移遷申し上げたところ、8月3日には御本殿を残して拝殿、幣殿等下流に流出し、総代塚本久作宅前に一昼夜停止し、村人一同舟を出して止めようと作業を開始したところ、途端に崩壊して流れ失り一里ほど下流の鎧と言う部落に止まっていたが、その時は僅かに四本柱と周囲の枠のみであった由である。然しながら減水後、この宮に使用してあった材は如何なる小さなものまでも一品も残さず集まってきて、何一つ不足もなく以前の古材だけで拝殿、幣殿を再建し得た事に、村民一同深く感動し神徳の然らしむるところと今に語り伝えている。
 また昔から越中(富山)の鹿は砺波の春日神社(当社の事)に参詣しなければお産が出来ないと地方で称されており事実県内には鹿が生息していたらしく、明治年間に生まれた部落の人々の中には鹿を見たと称する人が何人も居た。今その越中の鹿が居なくなったのは交通事情が変って山から鹿が下りられなくなり、したがって越中の鹿は自滅したのだと古老は言い伝えている。
【例祭日】春祭=3月6日/秋祭=9月6日