◆西 春日神社 (にし かすがじんじゃ)

鎮座地

坂井市坂井町西21-18

電 話

0776-72-1071(宮司宅)

交 通

JR北陸本線福井駅から京福電鉄三国線大関駅下車、徒歩15分

【御祭神】天児屋根命
【由 緒】 当社は越前国坂井郡の十郷春日十社の一に数えられてきた古社といわれる。
 十郷とは『越前国官社考』によれば、本庄・新郷・王見・兵庫・大口・関・溝江・荒井・細呂宜・新庄の十郷をいうが、その一つ本庄郷鎮座の井口神社の伝えに、一条天皇の御字(986~1011)当郡の用水窮乏に際し国司斎藤民部少輔藤原伊傅がこの井口社に立願したところ、幣をくわえた白鹿が現われて山中の水源を教えてくれ、村々の用水が定められたという。これひとえに春日大明神の御加護と井口社に春日大明神を併祭した。さらに後白河天皇の保元2年(1157)、時の国司が当社を第一とする十社の春日社を各郷に勧請したのが始まりと伝える。
 これらの土地の古伝承は、中央では康和2年(1100)白河法皇が南部春日社に一切経供養のため、越前国河口庄を寄進されたことや、正応元年(1288)後深草上皇が春日社の唯識三十講料所として、同じく坪江郷を寄進された史実に照らし、12、3世紀頃以来、当地が春日社の社領であったことが裏付けられる。坪江や細呂宜は越前でも加賀国との国境に近い。
 さて当春日神社の鎮座地坂井町西は、以上の十郷の中の大口郷にあるというが、その十社の多くが戦国の兵火を蒙り、所伝の大半を失ったように、当社の由緒等についても今日に伝存するものは殆どない。ただ『福井県坂井郡誌』に、当社は十郷十社の一つで、後水尾天皇の寛永5年(1628)8月17日、源三位頼政の苗裔で当郷の領主であった多田安房守源資武が篤くこれを崇敬し、名祠を建てて再興した、という伝えが唯一のものである。
【例祭日】秋祭=9月17日