◆上吉田 春日神社 (かみよしだ かすがじんじゃ)

鎮座地

福井県三方上中郡若狭町上吉田17-11

電 話

0770-62-0502(宮司宅)

交 通

JR小浜線上中駅下車徒歩20分、またはバス吉田停留所下車、徒歩3分

【御祭神】武甕槌命、斎主命、天児屋根命、比売神
【由 緒】 当社は後奈良天皇の天文2年(1533)8月1日、大和奈良の春日の神の御分霊を勧請した社と伝えられる。
 この吉田の地は古く700年の昔、文永2年(1265)、鎌倉幕府の諸国田地の実検記録である『若狭国惣田数帳』に、「吉田庄十八町九十八歩」と見えるのが最初で、さらに『三条西実隆公記』に「御邑吉田の段銭を除かしむ」とあるところから、文亀3年(1503)の当時は皇室の御領地であったことが明らかとなる。
 春日神社の名が現われる記録は、延宝3年(1675)、若狭各村の社寺の由緒を書いた『若州社寺由緒記』に、「上吉田村、氏神春日大明神、社萱葺五尺四面也、為差由緒不知、略之」とあるのが最も古いが、社伝の天文2年勧請というのは、その140年ほど前で、恐らく史実に近いだろう。
吉田村は『若狭守護代記』によると、天文21年(1552)戦火にかかり、その後江戸末期の天保13年(1842)3月16日、再び大火にあった。この時、村人の必死の努力の甲斐もなく、この地方屈指の名門をもつ正覚寺は炎上したが、萱葺の当社と民家2軒だけが奇跡的に難をのがれた。
以来、80数年、大火の傷あともようやく癒え、経済状態も回復したとき、手狭になった社殿の新築を望む村民の誠心により、昭和2年7月10日、御遷宮式が行われた。この時、古い御殿は撤下するには惜しい立派な造りのため、これに覆屋のように二重の社殿、サヤ建の神殿とすることになり、古い神殿は昔のまま保存されることになった。さらに戦時中で資材等不如意の中ではあったが、昭和17年、社務所も立派に完成したのである。
 境内にある敬神記念碑は、昔のある時期に北川の奔流に洗われていたこの地を天下の良田とし安住の地にされた先祖の労苦を偲び、常に人々の中心にまし、力と光と幸福の源である氏神様に感謝の誠を捧げ、氏子一同一致協力して平和郷の発展に尽す決意を表すため、用水路神田川の万年橋の大岩石をもって建てられたものである。
【例祭日】春祭=4月3日(従前4月18日)
【祭祀】祈年祭=4月3日(例祭に併せ執行)/山ノ口神事・新嘗祭=12月9日