◆下吉田 春日神社 (しもよしだ かすがじんじゃ)

鎮座地

三方上中郡若狭町下吉田11ー17

電 話

0770-62-0502(宮司宅)

交 通

JR小浜線上中駅下車徒歩20分、バス吉田停留所下車徒歩2分

【御祭神】武甕槌命、斎主命、天児屋根命、比売神、菅原道真公、大山祇大神
【由 緒】 若狭国遠敷郡というのは、奈良東大寺二月堂の修二会(お水取り)と関係のある地で、古代における日本海の玄関口若狭と畿内、特に奈良との文化宗教上の深い係りがあった土地であることは間違いない。
 従って奈良と当地との交流があったのは確かなことで、『若州管内社寺由緒記』に「春日小社は奈良春日より勧請と申伝へ候、由来知れず之を略す」とあるように、由来が判らないほど古い昔、奈良の春日社から分祀された社である。当社の伝えでは江戸初期の元和3年(1617)というが、事実はもっと遡るのかもしれない。
 口碑によれば、往昔当村に天満山長泉寺と号す真言宗の寺があり、本尊大日如来像を安置していたが、後に大谷派本願寺の僧、教如上人に帰依し真宗に改宗した際、新たに阿弥陀仏像を安置するにあたり、大日如来像を今の春日神社と崇め奉祀したとされている。
 藤原氏との関係については、藤原氏の末裔と伝わる氏子もあり深い関係が窺われる。
 明治44年3月21日、下吉田村字宮下の無格社、天満神社(祭神菅原道真公)を合祀した(その時、天満神社の境内神社若宮八幡宮は、三宅村井ノロ村社熊野神社へ合祀された)。この天満神社については、延喜5年(905)の頃の創立と伝えられ、『若州管内社寺由緒記』には「天神是は菅丞相当国御通の節、御冠被為置候故、奉崇勧請仕候由申伝候」と記されている。伝承によると、菅公若州へ御下向の時、帰途、山坂(野木村との境に天神坂あり)を越えられた時、疲労の余り坂の下にて御休憩せられ、村民その高徳を慕い記念標を樹て、後に社殿を建てて厳に奉祀した。その御尊像は網敷天神と称え尊厳世に稀有のもの云々……とされている。
昭和2年御本殿の造営が行われ、同時に社務所、大鳥居、手水舎が建設された。石垣、玉垣も併せ整備され、その後昭和16年舞殿兼拝殿が建てられている。昭和19年、福井県より神條幣帛料を供進することを得べき神社に指定されている。
 5月中旬の吉日を選び行われる厄年祓の神事には、厄年にあたる人は、遠方からも必ず帰省し、氏神である春日神社に参拝したあと、区長の挨拶を受け、区民総出の直会の宴が賑々しく行われる慣わしとなっている。
【例祭日】春祭=5月14日
【祭祀】新嘗祭・大祓=12月中