◆柳生 八坂神社 (やぎゅう やさかじんじゃ)

鎮座地

奈良県奈良市柳生上町227

電 話

0742-94-0259

交 通

JR/近鉄奈良駅からバス「柳生」下車、徒歩約15分

【御祭神】素戒鳴尊、天照坐皇大御神、春日比賣大神
【由 緒】 八坂神社にはふるい文書類はなく、県に調査提出した明治24年の神社明細帳以降の資料が少しある。
神社関係の資料は少ないのが普通で幸いなことに柳生村は柳生藩の領地、柳生下村は芳徳寺の領地で柳生家の家老・家士の方々の書き残した「柳生雑記」、「神隠抄」、「戸岩谷神社縁起」等々と東京の柳生家に伝わる「玉栄拾遺」などの古文書が多く保存されている。
 昭和43年頃から芳徳寺 先代 橋本 定芳 住職、歴史に詳しい方々、私も参加し、古文書の調査がされ、神社のこともいろいろとわかり、またいろいろな方々に紹介発表されている。
 八坂神社と天乃石立神社のことも古文書に多く書かれている。両神社は切っても切れない関係があるためああわせて年代順に説明。
(1) 延喜5(905)年、平安時代に「延喜式神名帳」が醍醐天皇の勅命で全国3123座(神社)を約12年かかり調査された国の正史。その神徳の由来は古く非常に貴い由緒ある神社とされ式内神社といわれている。州の神社で祭典には、国・県より幣綿が献上された。
 その中に 「大和国 添上郡 小柳生庄 天乃石立神社」があげられ、延喜5年以前に鎮座されている扉の形の御神体の御門(神託にある手力確命が扉を開け力あまって戸岩谷に飛び込んできた時の扉)の神、40坪が州の神託境内地として1100年前に指定。祭神は「前伏磐 天磐戸別戸命」「前立磐 櫛磐間戸命」「後立磐 豊磐間戸命」「大石磐 天照坐皇大御神」総称して天乃石立神社という。
 芳徳寺保存の「戸岩谷神社縁起」巻刊一巻があり、朝廷に良いことがあると岩が鳴動したともある。昭和24(1949)年7月12日 当時の大蔵大臣より無償譲渡があり、その書類は現存している。1044年間、国の神社であったことが古文書に記述。
(2) 長暦2(1038)年、神戸四箇郷春日社の神領となる。
※神戸は春日社の領地に付属し租庸調の税金を納めた農民の意。
※四箇郷は大柳生・阪原・邑地・小柳生の四つの郷のこと。
(3) 118年後の保元元(1156)年、再度 神戸四箇郷が春日社神領となる。
(4) 寿永2(1183)年 春日社も文書に9月9日の節供の彼物は小柳生庄調達と記述。
春日社の祭神は独立した四つの御殿に鎮座され神戸四箇郷にそれぞれ祭神分霊し、祭祀斎行。
(5) 承応3(1654)年、柳生藩 三代目藩主 柳生 飛騨守宗冬公は敎神の厚い方で大保牛頭天王社(現:八坂神社)の祭神を分霊し、社殿造宅され「柳生大保牛頭天王社」と改称(分霊した独立した神社で大保牛頭天王社の末社ではない)。
明治初年、京都牛頭天王社(祇園社)が八坂神社と改称され全国的に改称(柳生八坂神社の社名の初見は記録上では、柳生村地籍長に明治22年 棟札箱に「柳生八坂神社 大正14年10月28日」と記述)。
(6) 神社名は改称されたが、春日四神託として鎮座し、現在へ至る。
(平成17年4月 柳生地区神社氏子総代会 神社概略説明 資料より)
【例祭日】10月体育の日
【芸能・特殊神事】奈良県無形民俗文化財指定 柳生の神事芸能(老人衆伝承)
春日神領の神戸四箇郷の一つ小柳生庄に伝承する芸能(相撲の舞、影向の舞、簓の舞)