◆宅春日神社 (やけかすがじんじゃ)

鎮座地

奈良市白毫寺町116

電 話

0742-22-0612(宮司宅)

交 通

白毫寺バス停徒歩5分

【御祭神】天児屋根命、比売大神
【由 緒】 称徳天皇の神護景雲2年(768)春日大社が造営された直後の創建、天児屋根命の御神霊を河内の枚岡から迎えて、御蓋山に鎮まるまで当地に仮神殿を造って祀っていたと伝える。
 『大和名所図絵』(寛政年間刊)によれば、「宅春日ー『大和志』に曰く、大宅郷既に廃し、白婚寺に存す。故に今、宅春日といふ。社伝に曰く、一社は春日明神、一社は法明房恩覚をいはひし宮といふ。『春夜神記』に曰く、大明神、枚岡より此所へ影向ありて、其後、本宮嶽に移らせ給ひ圧るなり。(中略)社記に曰く、此の社のまへなる田を杉町といふ。大明神、杉の葉をまき給へば則ち稲となれり。当時も御田植に、杉の代りに此処より生えたる松の葉を以て植うる例あり」とある。また『春日権現験記』巻十二には、宅春日神社に神人として祀られている法明房恩覚上人の一代記が詳述されており、これらによって由緒が著名であったことがよく知られる。
 宅春日の「宅」については、1.難波皇子(敏達天皇の御子)が建てた大宅寺の寺名、2.大宅氏(大宅郷であった頃、のちに創建された神社のあたりに大宅〔役所のこと〕を置いて領国支配をしていた豪族の大宅朝臣可是麻呂氏)の氏名、3.大宅という役所名、4.大宅郷の地名、と諸説がある。いずれにしても詳細不明のまま今日に至っている。『奈良県町村史集』(明治24年刊)には、宅春日神社の所在地に当たる白奄寺村に「大宅」と「杉町田」が名所として保存されてきた、と記載されている。
 神賑行事では天保期に太鼓台(ふとん御輿)ができて秋の大祭は大賑いを呈したが、乱暴の事が引続き、明治30年頃解体。のちに昭和33年に子供御輿が奉納されて以来、猿田彦、鎧武者、稚児、白拍子、供奉侍、花傘等の100メートルに及ぶ行列が練り歩く盛況となっている。
【宝 物】一刀彫掛額/子供御輿/赤糸威鎧1領
【例祭日】秋季大祭=10月10日