◆津風呂 春日神社 | (つぶろ かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
奈良市山陵町1560 |
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電 話 |
0742-94-0550(宮司宅) |
交 通 |
近鉄京都線高の原駅下車、南西へ徒歩20分 |
【御祭神】 | 天照皇大神、春日四柱大神 |
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【由 緒】 | 県南の吉野町津風呂から、平城宮跡北郊の現在地に集落をあげて移ったのが、昭和34年のこと。戦後の国土開発に伴う津風呂ダム建設工事(昭和36年完成)で湖水下になるため、集団移住を余儀なくされ、古くから住民とともにあった当社も、本殿、拝殿、社務所を移築、御神体を奉遷したのが同37年である。 もともとのツブロの地名は、『万葉集』に見えるツブリ(津振)であり、1300年ほど前、大海人皇子(天武天皇)と鸕野皇女(持統天皇)とが吉野離宮からオトゲ(御峠)を越えてこの地に到り、隊伍をととのえて宇陀から伊賀・伊勢へと出陣せられた、世に言う「壬申の乱」の出発地点に当る。この時、この地の先人達は皇子の車駕につき従ったと伝える。 中世、南北朝時代の初め、南朝の忠臣牧堯観の執事であった津風呂筑後守従五位上、平朝臣光秀入道覚佛が治水・産業をすすめ、天武天皇ゆかりのこの地に鎮守の神として春日四柱の神を祭り、五穀豊穣と村の繁栄を祈願した。爾来、津風呂は龍門庄の邑となり、神の守護のまにまに桃源境として永く繁栄と平和を続けてきた。 元の吉野の鎮守の宮は、廻り1丈2尺もの杉十数本、その他の大木に囲まれる地に、分祀社として今も祭祀をつづけている。この神社のサカキカヅラは昭和28年3月に奈良県教育委員会から県文化財に指定されている。 現在の奈良市津風呂の当神社も、奉遷いらい30年、荘厳な鎮守の森として御神木も大きく成長している。 氏子中の当家(宮守)は毎年10月1日に決められているが、男がいない家、または病気の家は宮守をしない。宮守は町内、親類、友人等の葬式には出席するが、その家では食事はもちろん、茶も飲まない。もし家内に不幸があった時は、任期途中でも必ず交替することになっているが、宮守の当った年はその家によい事があると今も信じられている。 |
【例祭日】 | 秋祭=10月10日 |