◆椎木 杵築神社 (しぎ きつきじんじゃ)

鎮座地

大和郡山市椎木町444

電 話

0743-56-1926

交 通

近鉄橿原線筒井駅より法隆寺行バス今国府下車、徒歩10分

【御祭神】素戔嗚命、誉田別命、天都児屋根命
【由 緒】 鎮座地の大和郡山市椎木という所は、平安朝の昔から興福寺の寺領としてその名が現われ、平安末期には春日の社領となる。椎木荘の荘官「椎木預」というのは春日の社司であった。鎌倉時代になって、後烏羽天皇の中宮、宜秋門院藤原任子の女官、覚阿の所領となったが、これを譲り受けた弟子の尼浄阿は、仁治3年(1242)、春日若宮の夢のお告げにより、大般若経を宝前に供養し、翌寛元元年(1243)、その永代転読料所として、この椎木荘を春日社に寄進したと伝える。今日、根津美術館所蔵の「黒漆春日厨子」は、この大般若経収納の厨子で、観音開きの扉の内側に彫り込まれた寛元元年の銘文は、春日大社所蔵の寛元元年尼浄阿寄進状の内容と一致し、まことに貴重である。
 椎木はまた毎年、若宮おん祭にお旅所の仮殿に敷く真薦の奉納村としても知られる。昔は大和川支流の平群谷一帯で真薦がとれたが、現在ではこの町でも少なくなった。土用に刈り取り、天日に干し秋に薦に編んで、12月15日の朝、お旅所へ“薦あげ”が行われる。椎木の真薦に関する最古の記録は室町初期の応永年間に遡る。600年の伝統が今も続いているのである。
 このような土地柄、春日の御分霊が祀られているのは当然で、当杵築神社には春日・八幡・杵築の大神を祀り、社伝によれば、鎌倉時代の文永3年(1266)の創立と伝える。本殿は西面する三間社流造り、現在のものは室町時代の建造物として奈良県指定の文化財となっている。
 本殿の向って左側の切妻造平入の宝蔵には、天文23年(1554)の棟木銘が存し、もとはこの地にあった出雲寺の経蔵であったといわれ、今も大般若経や、床下に夥しい経石が埋められている。
【例祭日】秋祭=10月10日/お旅所渡御=10月8日、宵宮祭=10月9日