◆榛原 墨坂神社 | (はいばら すみさかじんじゃ) |
鎮座地 |
宇陀市榛原萩原703 |
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電 話 |
0745-82-0114 |
交 通 |
近鉄榛原駅下車1キロ |
【御祭神】 | 墨坂大神=天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神 |
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【由 緒】 | 日本書紀に神武即位4年春、鳥見山中に霊時(まつりのにわ)を築き、この地を上小野榛原、下小野榛原という、とあるその下小野榛原が即ち墨坂の地で、神武軍が大和菟田に入った時、この墨坂で敵軍が爀炭(いこりずみ=山焼き)をもって防戦したため苦戦し、菟田川を堰き止めて消火したという所である。この地に当時から祀られていた神々を文安6年(1449)下萩原字天野(現在地)に遷座したのが当社であるが、明治初期まで神宮寺として遍照山薬王院天野寺が神仏混合で祀られていたため六社権現とも天野宮とも称されていた。 また新抄格勅符抄には、天応元年(781)10月14日「墨坂神一戸信乃」と記され、現在御分社として長野県須坂市に墨坂神社が二社あるところから当時は信濃にまで神領があったことがうかがえる。 当墨坂神社はまた、伊勢、伊賀から大和の飛鳥地方に通じる交通の要路に位置している関係から、奈良の春日の神が鹿島から遷幸の際も、このルートが使われたといわれ、当社近くの赤瀬の春日神社はその遺跡と伝えられている。したがって春日の若宮おん祭に大宿所に見られる懸鳥の山烏などは、この地方でとれたものを奉献したといい伝える。そのような御神縁により、当墨坂神社の御本殿は春日大社の文久造替時の撤下社殿であって、春日大社とは深いかかわりがあった。 |
【宝 物】 | 赤盾8枚、赤鉾8竿=年代不詳 |
【例祭日】 | 11月3日 |