◆法貴寺 齋宮神社 (ほうきじ さいぐうじんじゃ)

鎮座地

磯城郡田原本町法貴寺1758

電 話

0744-32-2391(宮司宅)

交 通

JR・近鉄奈良駅から八木行バス鏡作神社前下車、東北30分

【御祭神】天照皇大神、豊受大神、誉田別命、天児屋根命
【由 緒】 明治以前は四社大明神と呼ばれ、斎宮寺の鎖守社であった。神仏分離令までは神職がなく、この境内斎宮寺の別当が祭祀を担当していた。法貴寺村は水野氏と幕府との相給地になっており、幕末までは領主水野家の位牌は同寺が祀っていた。最後の住僧善定は水野家の元家臣で、還俗後に斎藤和泉と改名して斎宮神社の神職を勤めた。
 斎宮寺は現存しないが、ここにはいわゆる「業平伝説」が語り伝えられている。平安初期、9世紀の皇族歌人在原業平が伊勢の斎宮である高貴の女人と契って伴い来たり、法貴寺郷の豪族長谷川党(十市氏)を頼ってこの地に堂塔を建立したのが寺のはじまりという話である。10世紀初頭に撰された古今和歌集にもこの情事のことが見え、それが伊勢物語などの影響もあってさらに尾ヒレがつき、鎌倉期には広く流布された色好みの説話となっていたようだが、斎宮寺伝説としては、「長谷川党」云々から推すとその発生は室町時代以後のことと考えられる。
 「業平が挿頭の桜」と称された境内の老桜樹も名物で、これを詠んだ水野家藩士大原重斯の「春毎にむかし男の色かへぬ名をもかざしの花盛かな」との歌碑が天保13年に立って今に残っている。
 この伝説に因んで、斎宮にさわれば雨に恵まれるとあって、当社では昭和30年頃までは日照りの季節に雨乞い祈願が盛んに行なわれた。現在では年に一度の順季奉願祭(8月下旬~9月上旬)にその名残りをとどめている。
【例祭日】9月21日