◆大東 春日神社 (おおひがし かすがじんじゃ)

鎮座地

長浜市大東町200

電 話

0749-62-3458(宮司宅)

交 通

JR長浜駅からバス「室東」下車、徒歩約5分

【御祭神】天津児屋根命
【由 緒】 奈良の春日社が御蓋山に御鎮座なさって、間もない平安朝初期の延暦年間(782~806)、鹿島から奈良へ供奉してきた中臣殖栗連秀行(えぐりのむらじひでつら)朝臣が湖北のこの地に社殿を建立し、春日四所の御分霊を奉祀したと伝えられている。
 由来、坂田郡南郷里(なんごおり)村一帯は古く坂田庄、あるいは楞厳院(りょうごんいん)荘と称せられてきたが、この楞厳院は南都興福寺の塔頭で、春日・興福寺の社寺領であった可能性が強い。したがって、その守護神として春日の神が迎えられたものと考えられる。
 現在社地の近くに「高畑(たかはたけ)」という小字名があるが、これは奈良春日社近くの高畑が古い南郷の社家町であることから、奈良とこの地の深い関連性がうかがわれる。また、社前の鳥居の近くには「影向松」が現存するが、これも今日、春日大社一の鳥居を入ったところにこれと同名の松が見られる。さらに近年、北陸自動車道建設の事前発掘調査のさい、古い蓮華紋丸瓦、布目平瓦の破片や、素焼きの「かわらけ」が出土したのは、当社が古くから村人の崇敬を集めていた何よりもの証拠である。
 戦国時代、社殿は度々の戦火にあい焼失したが、慶長7年(1602)9月、徳川氏の旗本藤原安成が坂田郡内に2千石を領するや、当社を祖神として篤く崇敬し、社殿の再建や社頭の整備に尽力した。
 大正10年10月、御鎮座千百年祭が斎行され、春日大社より水谷川忠起宮司参向以来、毎年春祭(4月10日前後の日曜日)には大社より奉幣使の参向が例となり、昭和46年4月の御鎮座千百五十年記念祭には、春日大社南都楽所の伶人奉仕による舞楽が奉納された。
 末社秀行(ひでつら)神社は中臣殖栗連秀行朝臣を奉斎し、秋祭(9月15日)には秀行朝臣の子孫である奈良の大東家より参拝、幣帛が供えられる。
【例祭日】4月10日(現在はその前後の日曜日)
【芸能・特殊神事】1月10日 オコナイ神事(現在は成人の日)