◆友国 春日神社 (ともくに かすがじんじゃ)

鎮座地

西尾市吉良町友国松下47

電 話

0563-35-1210(宮司宅)

交 通

名鉄上横須賀駅下車、徒歩30分

【御祭神】天児屋根命、後白河天皇
【由 緒】 当社の創立は暦応2年(1339)3月21日。旧社家の旧記に次の如くある。
 将軍足利尊氏が当国荒川在城の節、当地において高550石の新田を開拓し、これを厨屋新田と称したが、のち饗庭七郷に分れた。厨屋新田はまた饗庭三厨とも言った。この新田に沿った山に古来猪子塚、加須塚、伊井塚の3つの塚があり、暦応2年新田成功の時、同所の鎮守として以上の3塚に各々1社を創立、三塚三社と言い、また一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮と称した。当社は往古は伊井塚大明神と称し即ち三ノ宮であった。同年3月21日、奈良春日社の分霊を勧請し尾崎修理太夫を以て神主となし、新田の内3町6反歩は諸役御免との御朱印が足利家から下附された。
 爾後歴代領主の崇敬篤く、至徳元年6月20日当時の領主浅井六之助が当社の境内末社である八剣社、八王子社を勧請、また応永7年(1400)庚辰年3月18日足利義満参拝の時、四海太平子孫繁栄を祈って獅子頭1頭、王鼻1面の奉納があった。大永7年(1527)10月15日に領主松井左近より山林の寄付あり、当時の墨印に曰く「覚 天下泰平国家安全之為右祈願領永代出置候者也仍為後状如件大永七年十月十五日」
 以上の通り当社の創立は暦応年間に足利氏の新田鎮守として奉祀したもので、のち寛正年間に至って大字中野、大字酒井も開拓され当社の氏子区域に属した。明治5年10月村社に列し、大正3年11月18日神饌幣帛料供進社に指定された。また明治45年1月19日、元大字友国字王塚61番地鎮座の王塚社(御祭神=後白河天皇)を合祀した。
【宝 物】棟札5/王鼻面1面/獅子頭1頭/木扇
【例祭日】4月第2日曜日