◆上横須賀 春日神社 | (かみよこすか かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
西尾市吉良町上横須賀宮腰50番地 |
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電 話 |
0563-35-0969 |
交 通 |
名鉄上横須賀駅下車、徒歩2分 |
【御祭神】 | 天児屋根命、豊受姫命、誉田別(ほんだわけ)尊 |
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【由 緒】 | 創立年月日は不詳であるが、氏子鈴木家の家譜によれば天正12年(1584)の鎮座と思われる。――三州加茂郡寺部の城主鈴木日向守藤原胤善の一子善右ヱ門憲善(幼名善丸)、弘治2年10月12日寺部城に生る。母は中篠出羽守の妹。寺部落城の後、乳母の旧里たる縁故により幡豆郡幡豆の城主小笠原摂津守の邸に移って、ここで成人、地理・算法に通じた。その頃矢作川の下流、藤井米津辺を掘割り新川を作るに当って善右ヱ門憲善が徳川家の命を受けて土木係を勤め、工事成功して賞として太刀、鉄砲等を拝領した。ところが矢作川の水流が新川に落ちるために古川は減水し所々に高洲、空地、広野等を生じ、人々はこれら新地を開発、憲善がまたこれを監督した。時に天正12年国風によって一社を創建すべく評議が行なわれたが或人が、憲善公は藤原であるから宜しく公に縁故ある神を奉祀すべしと言い、ここに春日神社を建立した。そして大須賀某という者が老年だったのでこれを神主と定めたが、以後、人家が次第にふえて地名を横須賀と称するようになつた。――以上の如くである。 宝暦3年癸酉秋、社殿を修繕、その棟札に記して曰く、永禄元年春2月忽然として棉花が社前に映ず、是に依りて此の地を棉打の郷とも呼ぶと。明治5年4月村社に列し、明治40年10月26日神饌幣帛供進社に指定された。大正7年10月7日に元下横須賀字神明西23番地鎮座の神明社(豊受姫命)、元上横須賀字青木2番地鎮座の八幡社(誉田別尊)を合祀。昭和20年1月13日の三河大地震で本殿を残すのみで社殿をはじめ建物全部倒壊、同43年に本殿、渡廊、祝詞殿、拝殿、神饌所再建、同45年に社務所、神楽殿、手水舎改築、境内も整備され大復興なる。 |
【例祭日】 | 10月第1土曜日 |