◆名張 積田神社 | (なばり せきたじんじゃ) |
鎮座地 |
名張市夏見2162 |
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電 話 |
05956-3-1365 |
交 通 |
近鉄名張駅からバス夏見下車、徒歩2分 |
【御祭神】 | 武甕槌命、天児屋根命、経津主命、姫大神 |
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【由 緒】 | 当社はまたの名を積田の宮ともいわれ、人皇48代称徳天皇の神護景雲元年(767)旧6月21日、鹿島大神(武甕槌命)が常陸国鹿島より大和国春日社へ御遷幸の途次、留在された霊蹟で、古書に「伊賀の国名張郡夏見郷御成の宮、或は宇成神社」とあるのはすなわちこれである。 旧記による鹿島大神遷幸の行程は次のように述べられている。 白鹿に乗られ、柿の枝を鞭とされ供奉の社司時風・秀行と舎人紀乙野麿を従えて鏡池で休まれた。この池は本社のすそを流れる供奉川を隔てて向い側にある小さい池で、鹿島大神遷座の際、宮地をたずねられたときこの池に神影が映ったという。それから一之瀬(一の井・ミヤの井とも言われ、本殿の北方糸川の上流)で沐浴され、次に宮橋(供奉川に架けられた橋)を渡り、本社に鎮座されたと言われる。 この池辺御遷幸の際の霊蹟が今も残っている。 供奉川=前記一之瀬のあたり。御饌に捧げる魚をとったといわれる。 神柿=鞭とした柿の枝を突立てたのが根づいたといわれ、今も本殿裏の森に現存。 御座頭=遷幸の時、浜地、杉本の両家が御座を供設し奉ったと伝える。また当時舎人の紀乙野麿の子孫である梅岡氏は明治維新まで務められた。 年中の祭事は時代と共に改正されているが、毎年7月21日(旧暦6月21日)の御成祭と秋の大祭には、奈良の春日大社から、「奥の宮」と称されて今なお幣帛を賜わっている。 |
【宝 物】 | 神輿1基/子供神輿1基/獅子神楽 |
【例祭日】 | 秋季例大祭=11月3日 |
【祭祀】 | 祈年祭=2月中日曜日/厄除祭=2月初午/御成祭=7月21日/新嘗祭=11月中日曜日/大祓式=6月30日、12月31日 |