◆美作 春日神社 (みまさか かすがじんじゃ)

鎮座地

岡山県美作市栗井中273番地

電 話

0868-75-3318

交 通

JR大原駅からバス「田渕」下車、徒歩約5分

【御祭神】天児屋根命、武甕槌命、経津主命、天照大御神、天鈿女神、大国主神、菅原道真命、稲荷大神
【由 緒】 当神社が初めて吉野郡淡相の郷(美作市)に建立されたのは、67代三条天皇の御世、長和2年(1013)3月で平安時代である。備前・美作の国造(地方官で祭事を行った)和気清麻呂公五世の孫相法によって大和国官幣大社春日神社の御分霊を奉斎した由緒である古社である。当時の日本は藤原氏の全盛期であり、その氏神である春日大神がこの地に勧誘された政治的な意味は大きかったと思われる。「枕草紙」「源氏物語」が書かれたのもこの頃である。この栗井の郷は京の都から播磨国を通って西国へ行く道筋であり、中央政府から近国の重要地点としての扱いを受けていたものと思われる。万葉集(巻十一柿本人麻呂歌集二四二四)に小野の双子山が
 紐鏡能登香の山も誰がゆゑか君来ませるに紐開(解)かず寝む(能登香山=双子山)
と詠われており、古の奈良の都の頃から万葉歌人がこの郷を訪れていたのである。
「後醍醐天皇の行幸」元弘2年(1332)隠岐へ配流の途上の3月16日、警護役の近江守護大名佐々木道誉から『美作国粟井郷に春日大明神と申す古社があり、昔皇位の危機を救った和気清麻呂の子孫が勧請したもので行幸されては』との奏上により参詣なされた史実がある。
 神社裏山には粟井中村城または淡相城と呼ばれる城址があり、築城完成は長和3年2月である。本丸、東の丸などの跡地が現存している。当時の御社は現在地よりも裏山の少し高い所に在った。室町時代の乱世により、春日神社も粟井城と共に戦火にまみれ焼失した。その後、103代後土御門天皇の御世文明18年(1486)丙午の歳、旧9月17日、将軍足利義尚の臣 英多郡司粟井近江守菅原景盛公(粟井城主)により、現在地に再建された。北福鉱山(大字粟井中)、瀬戸・大弘鉱山(大字瀬戸)など生野(現・兵庫県朝来市生野町)代官支配の採掘が盛んで城下町として市が立ち、出雲・津山街道の宿場町として大いに栄えていた。
 再建から二四一年経過した享保12年(1736)6月29日朝不測の火災により焼失した為、大小氏子を以て享保2年(1736)正月再建立された。拝殿の龍の彫刻はその時の作である。
 それから268年を経過し、御社殿の老朽が激しいことから、平成25年に御鎮座一千年を迎えるに当たり再改築に向けて奉賛会を立上げて以来、10年の歳月をかけて竣工したものである。彫刻類は重要文化財同様に慎重に木組みを外し「洗い・繕い」を施した後に組み込んだもので、歴史の継承が図られている。
 境内の大杉・桧等の御神木は皆それぞれ一千年を経過した古木で、ご参拝の方に不思議な生気を授けてくれます。健康な方は気付きにくいですが、精神力の弱まった方などは元気が漲るといわれております。
(平成25年発巳10月吉祥日 御鎮座一千年記念事業奉賛会)
【例祭日】時代により10月17日から10月10日になり、現在は体育の日の前日の土・日曜日