◆新市 大和神社 | (しんいち やまとじんじゃ) |
鎮座地 |
福山市新市町金丸1940 |
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電 話 |
0847-53-8596(宮司宅) |
交 通 |
JR福塩線 府中駅からバス「金丸」下車、徒歩25分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 古来、当社は藤原氏の粗神を祀り、地元の藤原氏一族のみをもって、年々祭儀を勤めてきたというほか、その創立等詳しい由緒については明確でない。 幕末の慶応4年、当時の祠官(神主)であった芦田郡金丸村の小玉和泉が書いた『神社由来書上帳』にも、 同郡同村三安谷 山戸明神 祭神 天津児屋根命 但シ御殿 九尺梁二行弐間、尤屋根藁 御除地 藪 社地一畝拾八歩 とあるのみであるが、しかし御祭神が藤原氏の遠祖天児屋根命であることがこの記録で明らかとなる。 「小玉和泉」というのは代々当社の祠官(神主)で、京都の吉田家から免許をもらっていた。その最も古い元禄13年(1700)の裁許状が現存する。 備後国芦戸郡金丸村瀧八幡宮、(中略)宮須谷大和大明神、十一社之祠官小玉和泉守大原忠次、任先例、神事参勤之時、可着風折烏帽子狩衣、者、神道裁許之状如件 元禄十三庚辰年三月十五日 神祗官領長上正三位侍従ト部朝臣兼敬 とあり、さらに明和2年(1765)年裁許状には「小玉和泉守大原弘宗」、弘化4年(1847)には「小玉和泉正藤原弘義」の名が見え、小玉(児玉)家は少なくとも300年以上続いた当社の古い社家であったことが、これらの記録で明らかである。 また、当社の造替については、『諸神社造替御遷宮之日記』なる記録によって宝永3年(1706)に実施されたことが記されていて、江戸中期以降の沿革は比較的はっきりしている。 |
【例祭日】 | 9月23日 |