◆下助任 春日神社 (しもすけとう かすがじんじゃ)

鎮座地

徳島市下助任町3-42

電 話

0886-68-0192(宮司宅)

交 通

JR徳島駅から市営バス中島田行下助任三丁目下車、徒歩1分

【御祭神】武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
【由 緒】 鎮座地である助任の地名は、市内でもっとも古い地名といわれ、建仁3年(1203)奈良春日社の荘園として「南助任保」の名が歴史上登場し、おそらくその頃荘園の守護神として勧請されたものと思われる。
 『阿波志』には、「春日祠あり弘誓寺之を管す」とある。
 旧藩主の崇敬篤い神社で、もと春日大明神と称していたが、明治3年に神仏習合の関係にあった弘誓寺と分離し、春日神社と改称、村社に加列された。
 旧社殿は昭和20年7月4日の戦火により焼失し、現在の建物は昭和33年に鉄筋コンクリート造になり、新築された。
 この時の伝わる話として、春日神社の近くに神明社が祀られていて、その神社の伊勢元宮司に前日、神慮による知らせがあり、焼失の時伊勢元宮司は、春日神社、また近くの八幡神社のご神体を、一旦神明社にご遷座になられた。社殿が焼けてしまったので、神明社の末社社殿を借用し、お祀りされていたが、33年に氏子の総意により、今の社殿が竣工したとのことである。ちなみに、ご神体は二尺余りの頭上に龍頭をいただいた神像であったと伝わる。
 10月の秋季大祭には、戦前までは町内を御輿が練り歩いた。神社での祭典の後、氏子総出で「お御輿さんだ、ちょうさだ」と掛声をかけながら、神社から北ヘ1キロほど離れた吉野川橋に向い、ここで祭壇を設け、鏡餅、清酒などを供え神事の後、にしめ、昆布などで直会をし、今度は神社から南ヘ1キロほどの徳島城跡近くの助任橋に向う。ここでも同じく神事の後神社に戻る。助任橋から神社までは帰り道なので掛声は「おいりじゃ、おいりじゃ」となる。
 戦火により御輿も焼失したため、その後復興されたが、現在では境内に御輿を置き、その周囲を回るようになった。
【例祭日】秋季大祭=10月7日 宵宮祭=6日
【祭祀】夏祭当日祭=7月7日/夏祭宵宮祭=7月6日