◆萩原 春日神社 | (はぎわら かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
鳴門市大麻町萩原アコメン11 |
---|---|
電 話 |
0886-89-1486(宮司宅) |
交 通 |
JR高徳線板東駅下車、東へ徒歩10分 |
【御祭神】 | 武甕槌命、経津主命、相殿=仁徳天皇、大物主命 |
---|---|
【由 緒】 | 戦国時代中期の天文3年(1534)細川持隆のとき、阿波郡秋月から萩原の地に遷祀したものと伝えている。 その記録は、萩原字寺内の光勝院32世住職、明山桑溪田著『細川三将略伝』で「天文三年頼春十二代讃岐守持隆築城于勝瑞府居之世人称下屋形遷本寺補陀光勝及諸塔頭於萩原天照大神八幡春日山王等諸神亦皆遷之于此」とある。 そのとき一緒に遷った八幡神社は字・山の下に、山王社(日枝神社)は字・柳にあったが、明治42年に当春日神社の境内社となっている。 なお藩政期につくられた『阿波志』には「春日祠萩原村に在り」と記されており、また『寛保改神社帳』には「萩原村春日大明神別当萩原村談義所社人板東村板東石見」とある。明治初年村社となり、昭和20年に社殿の改築が行なわれた。 春日神社の森は広大で、古来「七盛り七池」と称され、本殿下の高さ4メートル、底径30メートルの円墳など幾つかの古墳が当他の古い歴史を物語っているが、「七池」といわれた池のあとはよく判らない。 旧6月17日に行われる裏祭とは、秋に行われる例祭(本祭)の裏ということで、本来は麦の収穫を祝うものであったが、近年麦の栽培が減少し、その性格も薄れている。昔は近隣の氏子がこぞって参列したが、今では当家と総代にて執行されている。 地神さんであるが、これは本来畑の中に五柱の神(天照大神、少彦名神・大己貴命・宇迦之御魂神・埴安媛神)の名を記した五角柱の石の柱を建て、その前で春の社日には豊作の祈願、秋の社日には収穫感謝の祭りを行なったもので、昔は近郊の農家が多数参集したとのことである。その柱は現在、神社の境内に移されており、今でもお祭りは続けられている。他の地区の中には今なお畑で執行しているところもあるといい、古いものでは文化・文政時代の柱が残っているという。 |
【例祭日】 | 11月3日 |
【祭祀】 | 献穀祭=1月1日/祈年祭=2月17日/地神さん(春社日)=3月下旬/裏祭=旧6月17日/虫祈薦=7月中旬/地神さん(秋社日)=9月下旬 |