◆坂出 神谷神社 | (さかいで かんだにじんじゃ) |
鎮座地 |
坂出市神谷町621 |
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電 話 |
0877-47-0770 |
交 通 |
JR坂出駅からバス高屋下車、徒歩20分 |
【御祭神】 | 火結命、奥津彦命、奥津姫命 相殿=経津主神、武甕槌神、天児屋命、姫大神 |
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【由 緒】 | 神谷神社の創祀は、太古、神々がこの溪谷に集い遊んだところから、この地を神谷といい、また自然居士なる人がこの川渕に忽然と現われ、傍の大岩を祭壇として天津神を祀ったと伝えられているが、この附近からは弥生時代の石鏃・石斧・土器などが出土し、神社の裏には影向石と呼ばれる磐座もあり、その祭祀が古代に始ることを物語っている。 弘仁3年(812)嵯峨天皇の御代、阿刀大足(弘法大師の大叔父)が社殿を造営祭祀し、併せて春日四柱を相殿に勧請し奉ったといわれ、貞観7年従五位上、貞観17年正五位下(3代実録記載)の叙位があり、延喜5年には国司班幣の神として延喜式神名帳に記載(延喜式内社)。その後も度々叙位あってか建保7年(1219)建立の現本殿棟木には「正一位神谷大明神」の墨書銘がある。 このように、古来より郷人は三ヶ庄(松山・林田)の総氏神として崇め、五社大明神、清瀧社とも呼んで、その祭事には舞楽上納、大般若経の転読などが行われ、また武門の崇敬も厚く、荘官刑部正長は建保7年2月本殿を再建(現本殿)、貞治年間細川清氏は神号扁額を奉納。讃岐の守護細川氏も社殿を修理増築し、祭田を寄進。その臣、安富・香西氏は神前に連歌を興行して奉納するなど、宝物として現存のものも多く、その崇敬のほどを偲ばせている。 |
【宝 物】 | 本殿=国宝、鎌倉初期/木像随身立像=重要文化財、鎌倉初期/神谷社法楽連歌1巻=坂出市文化財指定、明応5年/舞楽面2面=市文化財指定、抜頭面は鎌倉、還城楽面は室町時代/大般若経600巻=市文化財指定、鎌倉末期/神号扁額1面=鎌倉末期/木造狛犬1対=鎌倉時代 |
【例祭日】 | 秋の大祭=10月10日 |
【祭祀】 | 元旦祭=1月1日/とんど焼き=1月15日/百々的祭=2月11日/地神祭=3月19日/お日待=7月2日/荒神祭=9月23日/秋の地神祭=9月25日/新嘗祭=11月23日 |