◆鹿島 天子神社 (かしま てんしじんじゃ)

鎮座地

鹿島市音成2035

電 話

0954-62-8755(宮司宅)

交 通

長崎本線肥前七浦駅下車、南へ徒歩10分

【御祭神】瓊瓊杵尊 合祀=大山祇神、武甕槌神、経津主神、菅原道真公
【由 緒】 当社は第23代顕宗天皇元年の奉祀とも、また45代聖武天皇の天平年間に日向国高千穂の大神を分祀したものとも伝え、いずれとも定め難い。
 往古は日出岡社と称した相当な大社で、七浦郷(西葉浦、母ヶ浦、塩屋浦、宮道浦、音成浦、嘉瀬浦、龍宿浦)中の鎮守神として、祭日にはその前夜郷中の者通夜参籠し、畏んで奉仕した。
 建保年中(1213~19九)相馬中務がこの地に小城を築き、当天子宮を守護神として仰ぎ祀り、城名も秀岡城と呼んだ。龍造寺隆信もまた厚く信仰し神楽料として数町歩の山林を寄進したが、天保13年(1842)藩主鍋島家の方針によって上地となり、その山は今もなお神楽山の名を残している。かつて隆信公が参拝して一株の松を植樹、よく成長し「隆信松」の名称で有名だったが、惜しくも昭和14、5年頃、虫害で枯死した。
 明治6年村社に列せられたが、同12年、母ヶ浦の鎮守神社が村社に列格したため、七浦郷中、西葉より小宮道に至る5部落が分離することになった。同42年、無格社合祀により大山祇神、武甕槌神、経津主神を合祀、翌43年、片峯の地から無格社天満神社の隣接地たる現在地に移転して同天満社を吸収合祀し、祭神に菅原道真公を加えた。なお昭和40年代に境内社粟島神社の近くに冲髪大明神を奉遷した。
【例祭日】秋祭=9月第2日曜日