◆富松神社 (とみまつじんじゃ)

鎮座地

長崎県大村市三城町1248

電 話

0957-52-2217

交 通

JR大村駅から徒歩約5分

【御祭神】天児屋根命、天忍穂耳命、伊邪那美命、菅原道真公、伊邪那岐命、神倭磐余比古命、阿蘇都比売命、豊玉彦命、宇迦之御魂命、手置帆負命、彦狭知命
【由 緒】 創建の時期については不詳だが、正平19年(1364)から同25年(1370)の間に、大上戸川(本堂川)周辺の諸寺院で写経された大般若経の奥書に「肥前国彼杵荘大村富松社」と見え、当神社名が初めて文献上に登場するので、南北朝の正平19年には既に鎮座していた。
 15世紀後半、大村領主大村純伊の時代には、大村家の守護神太良山大権現(多良岳山頂鎮座)の遥拝所、すなわち「里宮」となるに至って、領主大村氏の篤い信仰を集める。
 しかし、その二代後の大村純忠のキリシタン入信に伴い、天正2年(1574)、領内社寺がキリシタンによる焼き打ちに遭う中、当神社もその被害を受けて灰塵に帰す。
 荒廃すること30年余。江戸時代に入ると、領内よりキリスト教が一掃され、従来の神社仏閣の復興策が企かられる中で慶長年間(1596~1615)にその先頭を切って、もとの社地に再興された。
 その再興に際して、荒廃した社地に残った老松に一団の霊火が飛来したことが再興の契機になったとの伝承から、再建時から元禄年間(1688~1704)までは「飛松宮」の社号を用いている。
 江戸期には殊に藩主大村氏が藤原姓として、その系譜が重んじられたことから、藤原一門の祖神・奈良春日大社の御祭神「天児屋根命」を祀る社として、「大村惣鎮守神」の称が与えられ、藩主・領民の篤い信仰を受けた。
 寛永9年(1632)には佐賀・呼子沖の加部島の田島神社より平野七右衛門が、専従の神主として招かれ、その後小島家が明治の初めの頃まで、代々社家(神主家)を務める。
 明治の神社制度により西大村地区の村社となり、大村部の一部をも含めた西大村の産土神社となった。
 昭和63年社殿改築の折、旧社殿両側に鎮座した森園天満宮と祖匠神社とを神社殿に合祀し、相殿として祀っている。
 古くより「とんまつさん」の名で親しまれ、現在でも鎮守の氏神様として、篤い信仰を集めている。
【宝 物】左大臣・右大臣御随身(江戸中期作)/大村館小路割之図(元禄5年改)
【例祭日】秋季大祭=10月17日