◆上大津 五社神社 (かみおおつ ごしゃじんじゃ)

鎮座地

五島市上大津町859

電 話

0959-74-2404

交 通

福江空港から車で5分、徒歩30分

【御祭神】天照大神、武甕槌命、経津主命、天児屋根神、姫神
【由 緒】 持統天皇の9年(695)正月28日に天照大神、武甕槌神、経津主神三神の御降格を仰ぎ、仮宮を建て地主大神宮と斎き祀ったのが本社の起源と伝えられる。五島列島での最古の社である。社殿の造営は、30年後の神亀2年(725)と、『五社宮伝記』は伝える。
 さらに45年後の神護景雲3年(769)には、当社神主は、氏子共々に大和国春日社に赴き、天児屋根神、姫神二柱の御分霊をいただいて合祀、本殿五間社を建立、「大値賀島鎮護五社大神宮」として尊崇した。値賀島は五島の古名である。社名は、徳川時代に入って「五社宮」、幕末に「五社大明神」、明治初年に「五社大神」、そして現在の「五社神社」と、時代によって変遷した。
 一方、嘉慶2年(1388)には、五島領主の篤い信仰により、五島氏(宇久氏)の氏神神社となった。しかし江戸時代になると、幕府の氏神が八幡神であったことから、藩主の居城に程近いこともあって、八幡神社(福江市下大津町)が氏神となった。同時に当社の社領を60石、新氏神の八幡神社を33石とし、禄高の面で当神社への尊崇の意を表した。
 五島藩主が福江石田の浜に築城の工を起した際、当社へ築城成就を祈願し、城は寛永15年(1638)に無事完工した。その報賽として、藩主は石鳥居を寄進した。様式は福岡市の筥崎宮と同じ筥崎鳥居である(写真参照)。
 猛威を振るった昭和62年8月末日の11号台風で、杉の大木が倒れてのしかかり、鳥居の上部は落ちてしまった。しかし構築の際、石材をわざわざ本土から取り寄せ、堅い良質の石を用いていたため、何の破損もなく直ちに復元可能であった。
鳥居の大きさは筥崎宮のに比べ、3分の1ほどの大きさであるが、県内では貴重な神社石造物の一つである。
【宝 物】最初の御神体となっていた漢鏡と懸仏
【例祭日】5月5日
【祭祀】祈年祭=旧正月28日/新嘗祭=11月23日