◆時津 大原野神社 | (とぎつ おおはらのじんじゃ) |
鎮座地 |
西彼杵郡時津町野田郷607 |
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電 話 |
0958-82-2108(宮司宅) |
交 通 |
JR長崎駅から長崎バス時津行、野田バス停下車、徒歩30分 |
【御祭神】 | 建雷命、天児屋根命、比売神、布津主命 |
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【由 緒】 | 元禄14年(1701)に摩利支天として、富永五郎左衛門によって建立されたのが、当社のそもそもの始まりである。享保19年(1734)の9月には村内に疱瘡が大流行したため、氏子中が平癒祈頴のため、二間四方の掘立拝殿を建造、安政3年(1856)には拝殿再営が行われている。 天明4年(1784)8月には、当社勧請主であった富永家が離散したために、年間の祭祀米1斗は藩主蔵入米より支給されるようになった。しかし寛政3年(1791)以降は本田章三の所領地となったため、これ以後は本田家より奉納された。 明治元年には大原野神社と改称、野田郷、左底郷、久留里郷(時津町)そして長崎市横尾町の氏神として尊崇を集め、その地区が氏子となり祠ってきた。 現在も鳥居から拝殿に至る参道の左右には、杉木立が並ぶが、元来この木立は明和8年(1771)に豊田吉右衛門によって植林されたものである。その大半は安政三年の拝殿再営の折に用材として使われたが、一部には植林当時の木立が残っている。 昭和57年の長崎大水害に際して、写真の烏居より上部の参道が破壊、大被害を受けた。しかし氏子一同奉賛の誠をもって復旧事業を起し、自然石階段を設けた立派な参道を復旧することができた。 当神社には氏子地域の野田と左底の二カ所から登口があるが写真烏居の位置からしても、社殿までは約15分かかるほどの山深い所に鎮座している。 最近では格好のハイキングコースとなり、休日等は家族づれのハイカーで賑わう。京都大原野に鎮座する大原野神社と、奉斎する祭神もほぼ同じであるから、何らかのゆかりがあるものと思われる。 |
【宝 物】 | 短刀1振 |
【例祭日】 | くんち祭=10月15日 |
【祭祀】 | 正月祭=1月1日/夏越祭=7月28日/摩利支天祭=9月28日 |