◆政彦神社 | (まさひこじんじゃ) |
鎮座地 |
南松浦郡新上五島町奈摩郷896 |
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電 話 |
0959-52-8970 |
交 通 |
西肥バス政彦神社前バス停下車、徒歩3分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 創立紀元その他明確でないが、古伝によると神功皇后の新羅出陣に際し、軍艦数隻この里の港に碇泊した時、神籬を建て祭壇を設けて順風航海安全を祈願した。里人はその祭祀跡を「カキノウチ」と称して尊崇し、一小宇を建立して「比古の宮」と唱えるようになった。以後その地を領主の祈願所として来たが、第83代土御門天皇の御代、藤原通高公が小値賀・浦部二島の地頭として来往の折、承元3年(1209)正月社殿を造営してその祖神天児屋根命を勧請して「正彦宮」として奉斎したことに始まる。 通高公は後年、地頭職を家高公に譲り代々継承し、家高公は青方村青方郷に移住して「青方」を氏とした。 文永の役(1274)に当り、青方能高公は出陣に際して敵国降伏、武運長久の祈願をなし、大いに軍功を現し、帰国後の弘安元年(1278)5月、社殿を現在の宮地に造営して崇敬した。 元弘2年より建武年間にわたり、領主青方高直公及び豊前守重公が、しばしばの出陣に際し一族を率いて参拝祈顧した記録がみえる。建武4年1月、青方豊前守重公社殿修築。応永2年10月、青方豊前守固公宝殿を改築。永享10年8月、青方因幡守進公社殿を造営。永正5年3月、青方内蔵助堯正公社殿を修築。文禄元年、豊臣秀吉公の朝鮮出征にあたり、五島の領主若狭守純玄公が特使を遣し武運長久を祈願。文禄4年、青方玄種公参拝され神鏡1面を奉納し社殿造営。藩主五島武助盛公田地寄進。貞享元年6月、さらに田地3石1斗8升を寄進。同2年5月にも社殿を造営。宝永7年9月、領主五島兵部盛朗公は御神体を造立し奉納。享保16年9月、領主盛尚公社殿を造営。天保7年3月、領主盛貫公拝殿を改築。嘉永4年3月御神体を奉改。明治4年12月村社に列格。昭和5年4月、奈摩郷出身者田坂博圀の斡旋により東郷平八郎伯爵揮毫による社名額の寄進あり。昭和34年、御鎮座750年祭、平成元年10月、御鎮座780年奉祝祭を斎行した。 |
【宝 物】 | 神刀1振/社名額=伯爵東郷平八郎元帥揮毫/御神鏡1面=文禄4年領主青方公奉納 |
【例祭日】 | 10月28日(上五島神楽の奉納) |
【祭祀】 | ゴヤオコシ祭=1月15日/シノマト神事=1月7日/初祈禱祭=1月7日/ほか恒例祭 |