◆大須 春日神社 (おおす かすがじんじゃ)

鎮座地

名古屋市中区大須3丁目46-34

電 話

052-241-3318

交 通

名古屋市営地下鉄上前津駅下車、徒歩約2分

【御祭神】武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
【由 緒】 当社の創立の起源は、称徳天皇の御宇神護景雲年間、奈良春日社創祀に際し、常陸国鹿島神宮の御祭神武甕槌命の御神霊を大和国春日山に御遷座の途次、当尾張国山田庄(現在地)に御仮泊あらせられたるに因み、天暦2年(948)時の郡司藤原某南都春日野を模して、春日四柱大神を奉祀したものである。
 その後、文亀年間(1501~1504)、前津小林城主牧与三衛門尉長清(正室は織田信長の妹)は、氏神として崇敬し社殿の造営、社地の整備等奉仕した。
 牧氏退転の後、尾州藩主も代々当社を崇敬され、九世宗睦公奉納の石灯籠、釣灯籠、鈴等の寄進があり、また各藩主の崇敬によりその他数々の宝物があったが、中世別当の火災により焼失した。
殊に二代目光友公の母君が、乳の病に悩まされた折、神木「椎の木」を採って祀られ平癒したことを縁に、その頃より婦女の信仰を深めるにいたり、お産の守神としての崇敬を集めていた。
 また、鹿島より長の道中つつがなく奈良の春日の宮に神鎮まり給いし御事蹟によって、行路の安全を祈願する信仰の言い伝えがある。鹿島立とは、単なる旅の門出ではなく、春日神社の御祭神に祈請して、行路、交通の平安を祈願する信仰等根強いものが残されている。
 第二次世界大戦により、御本殿、拝殿、その他の社殿及び社務所等、全てを焼失したため、昭和33年より、約3ヶ年の歳月を経て現在の本殿、幣殿、廊門、廻廊、手水舎、その他一切の建物を、春日社の造りを模して大造営をし、現在に至る。
 廻廊には、釣灯籠30数基が奉納され、社務所は80余畳以上に及ぶ和風建築である。
【例祭日】10月19日