◆倭文神社 (しずりじんじゃ)

鎮座地

奈良市西九条町273

電 話

0742-62-3240(宮司宅)

交 通

JR/近鉄奈良駅からバス「大和ハウス」下車、徒歩約5分

【御祭神】武羽槌雄命、経津主命、誉田別命
【由 緒】 大字西九条字辰市にあり、祭神は武羽槌雄命・経津主命・誉田別命(応神天皇)。明治15年の村誌には仁徳天皇も加えられている。神護景雲2年11月9日中臣時風・秀行が勧請した。
 境内240坪、東西16間、南北15間、氏子80戸。
 大和名所図絵に曰く、「倭文社しずりのやしろ、北ほとりにあり、俗にひずりのやしろという」。倭文のシズリは、しずのおだまきの倭である。人身御供の伝説があった。
 明治15年の村誌によると祭日は旧8月24日であった。境内には石灯籠19基、石狛犬1対、木狛犬1対、鉄釣灯籠1基、鉄花生1対、石手水鉢1基がある。瓦製の狛犬が1対あり、1つには「天明七年細工瓦ふきし平兵衛」、他の1つには「細工横平・瓦師平四郎」と刻まれてあり、いずれも高さ1尺2寸3分で、下台は1尺7寸5分に6寸7分、厚さ1寸5分である。
【例祭日】10月10日 もと10月16日であったが、昭和49年に変更
【芸能・特殊神事】蛇祭
 倭文神社の蛇祭は、数百年以前より行われている奇習である。毎年陰暦8月25日に、村の若者連中は揃いの欝金の手拭で鉢巻をして、長さ7・8間、周り1間半位の柴で造った細長いものを村中引き廻り、最後に倭文神社へ持って行き樹にくくりつけて置く。しばらくすると太鼓の音と共に御渡りがある。この御渡りが奇で、神官が2人の子供を連れてくる。そろそろ式が始まると土で造った菓子・人形・花餅・御幣等が供えられるが、終には、里芋(赤いずいきで蛇形)で造った蛇が渡る。この時2、30人の若者は、先に持って来た柴の長く束ねたものへ火を点し、これで式が終わるのである。また、神前で5、6才の小児の角力がある。
 この蛇祭の起源を聞くと、数百年前には、この村は山であったそうで山の頂上に神社があった。即ち、今の倭文社である。毎年、男の子供がある家に屋根に白羽の箭が立つ。そうすると箭の立った家の者どもは、互に鬮引をする。当たった者の子は神に献げねばならない。惜しく悲しいがしかたがない。陰暦8月25日の夜に社に捧げるが翌日行けば必ずいない。この小児は何ものかに食われてしまうのだ。数十年来毎年1人ずつあげていたが、或る時一人の僧がこの村にきた。哀れに思って、当日、自分が代わって行って大蛇を殺したと云うので、今なお祭礼に蛇を出すのだそうである。
 因にこの僧は理源大師と云って今なお堂がある。また蛇を埋めた処は蛇塚といって一つの塚と社がある。(諸国奇風俗を尋ねて、松川三郎氏著)