◆烏脇 春日神社 | (からすわき しんめいじんじゃ) |
鎮座地 |
米原市烏脇260 |
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電 話 |
0749-55-1303(宮司宅) |
交 通 |
JR近江長岡駅からバス伊吹高校前下車15分またはタクシー烏脇区内下車7分 |
【御祭神】 | 天津児屋根命 |
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【由 緒】 | 古代においては琵琶湖の水位高く、周辺は湿地帯で葦の群生地であったと考えられるが、当地方は天皇家と同等の権力をもつ物部族の領域であった。一方、朝鮮高句麗からの多くの渡来人が在地化、豪族となって行くが、渡米人たちは太陽に三本足の向い烏を故国の旗印としており、物部族が烏脇の地に神明神社(旧神明宮)を創って天津児屋根命を祭神とした際、その旗印を神紋としたと古老は伝えている。烏脇ではこの三本足の向い烏と波を図案化して村の紋所として幕や提灯に使用している。 烏脇の北西の尾根には、湖北の祖神、伊邪那岐・伊邪那美二神の墓と伝えられる円墳があり、南方朝日との尾根に前方後円墳(上塚)、また南東100メートルほどのところに「ぬか塚」(中塚)という猿田彦命古墳と伝えられるものがあったが、土取工事によって消滅、出土品はなかった。 明治45年、神明宮旧地であった「すも塚」(下塚)と呼ばれる岡地から、石棺とともに金環、銀環、ガラス玉、曲玉、緑玉、直刀、鉄鉾、鞍などの馬具、須恵器の提瓶、坩、高杯など数十点が出土し、金環、銀環、曲玉、直刀などは東京国立博物館に収納され、他のものは烏脇公民館に保存されている。「すも塚」は円墳か前方後円墳か知ることもできないのであるが、これら出土品から、相当の豪族、高貴の人の墳墓であることは確かである。 近江高天原説によれば、当社がその発祥地であって、当社の古い起源を物語っている。 |
【例祭日】 | 7月30日(7月最終日曜日) |
【祭祀】 | 初神事=1月15日/春祭=3月春分の日/秋祭=10月10日 |