◆目加田 春日神社 (めかた かすがじんじゃ)

鎮座地

愛知郡愛荘町目加田1998-1

電 話

0749-37-2123(宮司宅)

交 通

JR稲枝駅より金剛輪寺荘行バス目加田下車徒歩5分近江鉄道豊郷駅下車同右

【御祭神】天児屋根命 配祀=品陀和気命、玉依姫命
【由 緒】 往古の大国庄の遺跡と見るべき「コオク二」の小字名のあることから奈良の大寺の寺領であった頃、春日大明神を勧請したのに始まると伝えられる。近江国守護職佐々木氏の一族目加田氏、当地に築城し代々崇敬、武功を重ねると共に武神八幡大明神を、また佐々木氏崇敬の十禅師大権現を勧請配祀したと思われる。天正6年(1578)10月、目加田摂津守貞政が武運長久と子孫守護を祈願し神主に知行を与える旨の古文書が現存する。また、織田氏滅亡と共に目加田氏も没落、当社も衰退したが氏子の努力で逐時復興し、慶長7年(1602)彦根藩の検地に際し、境内東方の荒地を開墾して神供用とし神域に牛馬を放つを禁ずるとの文書もある。
 社記、棟札によれば、明和4年(1767)本殿造営、弘化2年再建の工を起し同3年(1846)3月に神輿庫と共に竣工、文化6年(1809)2月拝殿建立、いずれも現在の建物である。社号は古くは十禅師大権現と称したが明治元年春日神社と改称し同9年村社、同14年郷社、同43年神饌幣帛料供進の神社に指定された。以後社務所、参道、庭園等境内の整備に努めている。なお目加田氏末裔たる目加田種太郎氏は明治政界に活躍、枢密顧問官男爵となったが祖先の地に再三帰郷し参拝、神器等を献納され後継者も年々参拝されている。
 当社に「廻り神主組」の制度がある。江戸中期頃、神主と氏子の間に争いを生じたことから、神主株を氏子が買取り氏子中にて血縁十数家ずつで十数組を作り、主たる家を親神主、他を子神主と呼び、各組が年々交替で祭祀を奉仕、明治時代神職制度確立後は神職の補助として神事に当り、現在は隣組制度を利用して親神主には組長が、子神主には他の組員がなって、字の住民全員が氏子として奉仕している。また江戸末期から伝承する「川渡り神事」は春の大祭の神輿渡御の途次、字の外側を流れるお祓い川(岩倉川)の中に入り半町ばかりの間を水しぶきを上げつつ1時間ほど練り渡る勇壮な神事である。
【宝 物】当社に関する古文書3通/勝海舟の軸3本/目加田種太郎男爵願文1通
【例祭日】4月16日(4月第3日曜日)
【祭祀】元旦祭=1月1日(氏子総参り)/元服祭=1月15日(15歳の男子元服奏上)、植樹/川渡り神事=4月の例祭時に神輿お祓い川渡御