◆飾東 春日野社 | (しきとう かすがのしゃ) |
鎮座地 |
姫路市飾東町塩崎815 |
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電 話 |
0792-92-1911(宮司宅) |
交 通 |
JR姫路駅よりバス飾東出張所前下車徒歩5分 |
【御祭神】 | 天児屋根命、建御雷命、経津主命、姫大神、伊弉諾神、伊弉冉神、大日孁命 |
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【由 緒】 | 天和2年(1682)の社司菅原則春の記録によれば、播磨国飾磨郡谷外荘、春日野神社は春日四所大明神の鎮座の地である。後に若王子大権現も併せて祭り、春日野社若王子大権現と号した。
社伝によると、天穂日命14代の後裔、野見宿祢の11代の孫、土師古人の玄孫参議菅原實則が当国三木郡井上郷に10余年隠れ住んだ。その子則興、大和国春日郷に居を移すが、長歴元年(1037)8月1日父實則の崇敬した春日四所大明神を当国飾磨郡谷外、星田両荘を領した井上氏によりこの地に勧請し、則興の子敏継が父母の志をついで社司として奉仕した。 当社の地形は東北前方に天川の清流があり、奈良紡川に擬し、また後の山城は三笠若草山麓に模している。 のちこの土地を領した別所氏は星田山上に築城の後、150石を社領として寄進した。 天正年中に別所氏は羽柴氏との戦いに敗れ、城兵災をうけ、敏継子孫の菅原則貞は卒し、その孫則時は文職であり武官ではなかったため羽柴氏に訴えでた。羽柴氏はその誠実さを疑い、150石を減じ麓林100間四方を神封とした。今の除地がこれである。 別に定めるには、若王子を祭る由来に八重畑、山崎、塩崎、豊国、上原田の5村あり、その産土神を若大子大権現と号し、その神祠は昔長谷寺の鎮守であり人皇31代用明天皇の御世に造権するが、後廃絶しその際に5村の氏人の争いごとがあり、八重畑、山崎はその村に産土神の小祠を建てる。今の社殿である。また、塩崎、豊国、上原田は天正18年(1590)9月13日、その産土神を当社に合祀、相殿となしてこれより9月13日を祭日とした。 寛政年間に諸殿を修造し、天保9年、文化3年、弘化2年に本殿を修復、明治7年郷社に列せられ、同43年に本殿・幣殿を改築した。 |
【宝 物】 | 刀1振/社伝記1幅/棟札=寛政頃、天保9年各1、四季農耕図絵馬 |
【例祭日】 | 秋祭=10月9・10日 |