◆三春 春日神社 | (みはる かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
横須賀市三春町3-33 |
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電 話 |
0468-23-2332 |
交 通 |
JR横須賀駅からバス春日神社前下車1分 京浜急行堀ノ内駅下車3分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 鎮座地の旧「公郷」は藤原氏の荘園であったため、当社は奈良の春日大社より分霊勧請されたと伝えられている。 古くは猿島に鎮座し、周辺の小島9つと合わせて十島故、十嶋大明神とも称され、公郷一円の鎮守であった。猿島全島を境内とし、明治の初め頃までは旧3月3日に藤原氏の奉幣使の伝統を伝えるものとして鎌倉深沢村より梶原氏の一族梅沢氏が参向、田津の浜から島に渡り、神楽を奏して祭典を執行していたが、朝夕参拝する氏子のために、古くから現在地に遙拝社があった。向きは現拝殿と反対で、拝殿より猿島に向って拝するという形になっていた。 建長5年(1253)鎌倉遊学のため房州より渡海の日蓮が十嶋に漂着、十嶋大明神の神託によって石渡氏が助けたと「石渡旧記」にあり、また別に「十嶋春日大神造営 建長七年六月石渡氏」との棟札があったと伝える。また弘化年間(1844~48)数度にわたって社殿再建造営の棟札がある。弘化4年、江戸防備のため猿島に台場を建設するに当って幕府及び川越藩から各々300疋の献納があった。 明治5年村社に列格。神域猿島も時代の推移で軍用地となり社殿移転のやむなきに至り、明治17年4月25日、現在地に遷座、同42年公郷一円鎮座の15社10柱を合祀して指定村社となった。 大正12年関東大震災によって社殿倒壊、里人恐懼して再建を議り、昭和11年7月現在の社殿を造営した。 なお、天武天皇12代後裔元輔(清原氏)より出ずる石渡氏の子孫が氏子総代として代々相継いで現在に至っている。 |
【宝 物】 | 鏡1面=銘藤原金良、径8寸、年月日不詳 |
【例祭日】 | 7月30日 |