◆坂本向ヒ山 春日神社 | (さかもとむかいやま かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
揖斐郡揖斐川町坂内坂本向ヒ山1475-1 |
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電 話 |
0585-53-2166(宮司宅) |
交 通 |
近鉄揖斐駅より近鉄バス広瀬行坂本下車、村営スクールバスに乗り換え諸家下車、徒歩15分 |
【御祭神】 | 建甕槌神、経津主神、天児屋根命、姫神、応神天皇 |
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【由 緒】 | 当神社は天正元年の創設に係る。これより先、江州坂田郡上坂村の郷士岩崎孫太夫興長、故ありて当国坂本村(木村大字坂本のこと)に移り字柿野に居住、元和5年(1619)3月11日、75歳にして剃髪して法泉と号し、同地に本照寺を創建した。それより以前、同村上諸家に転住し、天正元年(1573)癸酉3月、当春日神社を創建した。この節近国に疫病が流行したが、当神社へ参拝するものはよくその厄を遁れた。これを伝え聞き諸方より祈願参拝するものが数多くあった。 時の領主池田公の崇敬も篤かったが、元文3年(1738)また西濃地方に疫病流行した時、当神社の霊験の著しいことが、領主戸田采女正に聞こえ、供物料として大垣銀礼札1匆が献納された。この銀札は宝物として今日神社に保存してある。また当時の棟札1枚も今に残る。 その後領主の役人領内巡視の際は当神社に参拝し、供物の奉献を怠らなかったが、明治3年神社付近民家の火災に際し、拝殿は全焼し社殿の一部を損した。同5年その筋よりの神社調査で、その頽廃した現状によって無格社と決定されたのは、氏子一同の実に千秋の恨事であった。 敬神思想の向上を唱導される折柄、氏子一同は当神社の無格社を痛歎し、大正12年26日本県の許可を得て、木村下諸家に鎮座の八幡神社を合併し、社殿の改築、拝殿及び鳥居・灯籠の新設を行ない、境内地の拡張並びに大修繕を加えて基本財産の増殖を図り、大いに神社の面目を改めるに至った。こうして昭和5年10月4日、村社に列せられた。 |
【宝 物】 | 大垣銀札1匆=領主戸田采女正献納 |
【例祭日】 | 例大祭=9月14、15日 |