◆秦荘 八木神社 | (はたしょう やぎじんじゃ) |
鎮座地 |
愛知郡愛荘町宮後98 |
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電 話 |
0749-37-3261 |
交 通 |
JR琵琶湖線能登川駅からバス沖下車 |
【御祭神】 | 天児屋根命、比売神 |
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【由 緒】 | 人皇四十五代聖武天皇の神亀元年(七二四)正月に村人の老翁霊夢を蒙り、五穀を守護するために、大和国添上郡春日の御神を迎え奉斎したのが創祀と伝えられている。御勧請後、永らく神官なく、ために社殿も荒廃していたが、人皇五十六代清和天皇の貞観三年(八六一)三月十六日惟喬親王御参詣になり、その荒廃を嘆かせ給うて再建の御企あり、その時に「八木宮春日大明神」と染筆せられた扁額を掲げ給い、また御せられていた馬鞍を奉納された。爾後、御崇敬浅からず同年七月二十四日再び君ヶ畑より摂政染殿良房卿を供にして御参詣、杉苗八本を社頭に植えられるなど再建につくされた。 往古は四十余村の大宮であったが、永禄・天正年間(十六世紀後半)の兵乱と宇曽川の氾濫とにより一時社運は衰退し、伝来の旧記文書を喪失したが、四脚門はその難を逃れた。同門は足利時代の古材で数次の組直しの跡が見られるが、その古きを誇っている。明治維新に際し祠掌を置き、同二年社号を八木神社と改称し、同九年十月に村社に列せられ、同十五年九月十五日郷社に昇格。戦後は、社務所をはじめ諸殿改装整備し、昭和五十四年には神社本庁の神社振興対策指定神社となり、境内森の整地、植林、手水舎、幣殿、大鳥居の建立など社頭を一新した。昭和五十六年には神輿御旅所地の贈与を受け飛地境内池とした。 |
【宝 物】 | 惟喬親王染筆の扁額「八木宮春日大明神」/惟喬親王御せられし馬鞍/明応9年八木明神金口/大神輿2基 |
【例祭日】 | 4月21日の近い日曜日 |
【祭祀】 | 古式祭・同粥占祭=1月15日/祈年祭=2月21日/納涼祭=7月1日/萬灯祭=8月15・16日/秋祭=9月21日/新嘗祭=11月26日 |