◆櫟谷 七野神社 (いちいだに ななのじんじゃ)

http://www.ichiidaninananojinja.com/

鎮座地

京都市上京区大宮通芦山寺上る西入社横町277番地

電 話

06-6852-4735

交 通

JR/近鉄/地下鉄京都駅からバス「堀川天神公園前」下車、徒歩約10分

【御祭神】高沙大神、春日大神、武甕槌命 他19柱
【由 緒】 当社御創立の事情について、社伝によれば貞観年間(859~877)、文徳天皇の皇后藤原朝子御懐胎の際、その安産御祈りのため、産殿の西方に大和国御笠山から春日の大神をお迎えして祈願したところ、儲君、後の清和天皇を御平産になったと伝える。
 その春日大神御鎮座の場所が山城国葛野(かどの)郡櫟谷である。当時は櫟の森を谷川が流れていたのであろう。また、社名の「七野」とは、内野・萩野・北野・紫野・上野・柏野・蓮台寺野をいう。この七つの野に当社の神供田があり、その石高は合わせて750石に及んだという。
 その後、応仁・文明の戦乱時代、この七野のあたりは細川勝元と山名宗全が相対峙する戦場と化したため、社頭は殆ど灰燼に帰したのを、大内義興に台命あって永正9年(1512)2月、七野の各社を高台の一所に集めて再興がはかられた。
 ところが天正10年(1582)、織田信長が遊宴のため社を麓に引き下し、その跡に高殿を建てて神域を穢したことが、後に豊臣秀吉に聞こえ、秀吉は山内豊一をして再建せしめた。その時、秀吉は各大名に石垣の寄進を命じ、その石には大名の家紋などが刻まれている。今は土や苔で見えにくくなっているが、秀吉の篤信が偲ばれる。
 以後、特に禁裏・仙洞・女院御所の崇敬篤く、大火焼失等の都度、これらからの再興がはかられてきた。
 なお、当社では昔から毎年春になると、どこからともなく一頭の鹿が神前に現れるのを、奈良へ送るということがあった。明治6年(1873)以後見られなくなったのであるが、この神縁により、明治28年(1895)、当社よりの依頼により奈良の春日神社から神鹿2頭を貸与された、という記録が、今日春日大社に残る。
【例祭日】例大祭(10月16日)、緑戻大祭(6月10日)
【芸能・特殊神事】賀茂斎院跡
特殊神事として、復縁・浮気封じ・縁戻しの高砂山祈願