◆東鳴川 春日神社 | (ひがしなるかわ かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
奈良市東鳴川町35 |
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電 話 |
0742-94-0164(宮司宅) |
交 通 |
JR/近鉄奈良駅からバス「東鳴川」下車、徒歩約5分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 当社草創の由緒は明確ではないが、『奈良市史・社寺編』に引く大正5年の神社調査書に、「東鳴川町春日神社の本殿は今より凡そ二百五十年前の創立にして、春日杉厚板葺、桁三尺一寸、梁四尺九寸なり、屋根替は二十一年目毎に葺替をなす」と記されており、それが正しいとすれば、江戸初期の寛文年間前後の御鎮座である。 奈良市東鳴川町というのは昔の添上郡鳴川村で、正倉院文書にも出てくる古い地名。明治維新までは幕府領であった。『大和志』によれば当社の下に、行基創立四十九院の一つ、鳴川千坊善根寺があったというが、この寺とも無縁ではなかろう。 また、昭和戦前の宮座一老職が記した当地の年中祭典行事を見ると、毎月1日、11日、21日には御燈明をあげることや、10月17日の御例祭にはその年の新米で作った「白むし」が供えられること等、本宮の春日社の影響が多分に見られる。 『東里村史』によれば、この「宮座一老職」というのは当社の神主職で、日常の清掃から年中祭事を司るもので、祭の供物なども一老が調進することになっている。宮座に入座するのは毎年12月に長男で数え年17歳になった時で、以後終身職である。役職は一老、二老があって、一老は数え年65歳で終わり、一老の終った者は、スベリと称して会合等の場合、一老、二老の次の席に座ることになっている。同時に二老が一老に昇進するのである。 当社の裏山、通称ダケ(嶽)山の頂に、ヒノキの三又木が生立ち、山の神の神木にふさわしい樹相を呈している。例祭の日には村人たちがこのダケ山に登り、昔は松茸等もとれて楽しい一日を過ごしたものと古老は話している。 |
【例祭日】 | 10月17日 夜宮(宵宮)=16日 |