◆薦生 中山神社 | (こもう なかやまじんじゃ) |
鎮座地 |
名張市薦生214番地 |
---|---|
電 話 |
05956-3-1941 |
交 通 |
近鉄桔梗が丘駅からバス「薦生」下車、徒歩約2分(土日運休)、 または桔梗が丘駅から車で約7分 |
【御祭神】 | 天児屋根命、大日孁己貴命、菅原道真公 |
---|---|
【由 緒】 | 鎌倉初期、文暦元年(1234)具注暦紙背に書かれた『古社記』(春日大社蔵)の一節に、鹿島の神が遠路奈良へ御遷幸の途中、伊賀国名張郡夏身郷の一ノ瀬河(現名張市積田神社の境内を画する名張川の支流)で禊をされた後、同国の「薦生山」に数ケ月滞在され、さらに大和の安倍山(現桜井市)を経て、神護景雲2年(768)奈良の御蓋山頂に鎮座されたと記されている。また、鎌倉末期の筆写といわれる『春日御社御本地並御託宣記』では、その滞在地を「薦生(こもうの)中山」と明記されていて、明治39年現社名になった根源が窺われる。以前は春日神社であった。 当社の鎮座地「薦生」は、応和2年(962)の『東大寺文書』にも見える千余年来の土地柄であり、その立地点は神社の西北約8キロにある奈良県の神野山(こうのさん)に向かって、県境が突出している口許に位置している。その神野山頂には武甕槌命の墳墓と伝える王塚が現存することや、「コモウノ」と「コウノ」との音通等を考えるとき、中山神社と神野山との間にはただならぬ関係があったことが窺われる。 御祭神三柱のうち主神は中央の天児屋根命であるが、江戸時代の棟札等には「春日大明神」とのみ書かれている。棟札は、天正の兵火以後、慶長9年(1604)以来のもの21枚が現存し、これらにより当社は古来、伊勢神宮や春日大社同様20年一度の式年造営が行なわれてきたことが明らかである。現存の本殿は享保11年(1726)造立のものだが、以来20年ごとに修復がなされてきた。 当社と春日大社の関係を物語るものとして、江戸中期の宝永5年(1708)8月、春日の若宮神主中臣祐字は当中山神社に参詣して、「跡たれて中にもここを宮柱神もうれしと日数経にけむ」の一首をその紀行文『伊賀国道の記』に書き残している。 |
【宝 物】 | 棟札=慶長9年以降21枚/刀剣3振/御湯神楽釜一式=春日大明神銘、年不詳/木造狛犬1対=延享4年/6字名号碑1基=慶長3年銘 |
【例祭日】 | 10月10日 旧20日 |
【芸能・特殊神事】 | 獅子神楽 |