◆岩倉 春日神社 | (いわくら かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
伊賀市岩倉410 |
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電 話 |
0595-24-0480 |
交 通 |
JR伊賀上野駅・近鉄上野市駅からタクシー10分、 近鉄上野市駅からバス「岩倉」下車10分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 三重県阿山郡新居村大字波野田(現、伊賀市岩倉)村社春日神社鎮座記によれば、桓武天皇の第8皇女伊登内親王、主従18人と伊賀の山中に落ちさせ給い、弘仁年中円福堂を建立、如意輪観音を本尊とし、同時に奈良の都より春日大神の御分霊を勧請して観音の垂迹神として奉祀した。後年、内親王の遺言により、薨後60年、天徳年中従臣ら今の稲浦(下出)の地に遷祀、以来当村の氏神と崇め奉る。 伊都内親王は桓武天皇を父とし、中納言藤原乙叡の女平子を母とし、平城天皇の皇子阿保親王と婚して在原業平を生む。伊賀の山中に落ちさせ給うたという伝承は、阿保親王の大宰府配流と関係があるのかもしれない。現在御物となっている「伊都内親王願文」は天長10年(833)、春日興福寺に墾田十六町等を施入の際の、内親王直筆の願文としてつとに有名である。 現在、伊賀市岩倉の春日神社は戦国時代の天正年間焼失後再建、その棟札等によると、爾後60年ごとに社殿を造替、20年ごとに屋根葺替が行われ、今の社殿は明治34年の改築である。 創建以来、円福寺の住職が別当として奉仕、また神社には神主なるものが祭事を行ってきたが、維新の神仏分離で、別当職を廃し、専任神職が置かれるようになった。 |
【宝 物】 | 春日神社神名帳=室町中期書写本、天正17年書写本(各全国68ヶ国大社神名記・軸物仕立)、昭和48年上野市文化財保護条例により市文化財指定 |
【例祭日】 | 春季例祭=5月1日 |