◆春木 春日神社 (はるき かすがじんじゃ)

鎮座地

和泉市春木町615

電 話

0725-54-0352

交 通

阪和線和泉府中からバス春木町春日神社前下車

【御祭神】武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神
【由 緒】 古代、中臣氏の本貫は摂津の淀川沿岸地方であったが、それが南方の物部氏の本貫地と政策上の接近により、南下したといわれる。その祖、天児屋根命を祀る枚岡神社を中心とする河内地方にその主要地域が移動したわけである。
 社伝にも、往時当地松尾荘(春木庄)は藤原氏(中臣氏)の本貫であるが、武烈天皇の御代は物部氏もこの松尾を本貫の地としていたと伝える。そして奈良朝、称徳天皇の神護景雲2年(768)、鹿島明神が奈良へ御遷座の途次、当地に御逗留の際、地元の藤原一族が喜んでこれをお迎えし、神殿を建てて創祀したのが当社であるという。一方、当地の物部氏も物部布留社を地主神として祀っていた。境内の神宮寺、役小角開基の宗福寺はこれを布留堂と呼び、『泉州誌』によれば、大同年間、弘法大師、一冬安居された後は冬堂と称したという。
 いつの時代か、この春日社と布留社は合祀されて春日社と称せられ、後醍醐天皇からは正一位四社明神の勅額を賜わり、神威益々光を放ち、松尾荘内の総氏神として、特に産業隆昌、旱害疫災には厄除、疫病平癒の神として住民の崇敬の中心であった。
 『延宝七年検地帳』に「弐町五反五畝歩氏神春日大明神、境内慶長十六年片桐市正検地往古之通除之」とあって、境内地の基礎が固まったが、この除地一帯を春日森と呼ぶ。戦国時代の天正年間二回の兵火に焼き払われたが1本の槙と1本の椿が焼け残り、誰いうとなく不老延命の神木と称え、この槙の実を食べると無病息災になるとの信仰は今も残る。
 また、天正以後、社殿は寛文11年、享保17年、宝暦2年、文化8年、天保15年、明治26年、昭和29年と造替、修覆が行われてきた。
 明治42年指定村社に列格、昭和45年には御鎮座1200年祭が執行された。
【例祭日】10月10日