◆道満 春日神社 (どうまん かすがじんじゃ)

鎮座地

天童市大字道満62

電 話

0236-54-3759

交 通

JR天童駅から楯岡行バス道満口下車20分
山形空港から車で10分

【御祭神】武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
【由 緒】 正親町帝の御宇、戦国時代の永禄2年(1559)、初代後藤宗右衛門が茫漠たる原野に春日大明神を祀ったことから、その地名が「大明神」と呼ばれるようになった(天童市大字山口字大明神)。その後寛永元年(1624)に後藤掃左衛門(2代)が現在の社地に遷したが、享保9年(1724)の道満大火で書類も焼失、後藤惣兵衛(10代)が宝暦2年(1752)に本殿再建、後藤惣助(14代)が宝暦2年(1752)に嘉永6年(1853)に拝殿再建、明治6年郷社に列し、15代惣助が明治11年その祠官(宮司)に任ぜられた。さらに後藤英治(16代)が明治20年神門を建立、同26年本殿修理並びに拝殿再建。
 このように当社は代々後藤家が奉仕(現宮司は19代)してきたのであるが、道満大火以前のことは伝承であり、一説では当社の起源は平安時代にありともいわれる。
それは最初の「大明神」神社跡からは、その期の特徴である直刀類が数多く出土しているからである。ともあれ、現在の天童市一帯は上古、成生の庄と呼ばれ代々京都・藤原氏の荘園であり、その一族が下向し土着、道満・後藤家の祖もその藤原一門であった。その祖神、春日の神を祀る所以であろう。
 当社は俗に風邪よけの神「道満の春日さま」として県内外の信仰を受けており、戦前の大祭日には臨時列車が出るほどであったが、最近はさらに家内安全、心願成就祈願等でバスを連ねた団体参詣者が訪れるなど再び往年の賑わいを見せはじめている。
 社務所となっている後藤家は2000坪の宅地、100年になる100坪の母屋、樹齢約600年「市指定天然記念物」のヒダやサルスベリの大樹の林立する庭園など、代々庄屋をつとめた風格を今にとどめて、参詣者のくつろぎの場ともなっている。
【宝 物】釣灯籠=1尺5寸、明治10年、2個/扁額「春日社」=山形藩主水野治部ほか43名奉納、安政5年/鏡=藤原金益作/絵馬=小松雲涯作
【例祭日】旧1月19日