◆藤坂 春日神社 | (ふじさか かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
篠山市藤坂216 |
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電 話 |
079-552-2418(宮司宅) |
交 通 |
JR福知山線篠山口からバス藤坂日下車10分 |
【御祭神】 | 天児屋根命 |
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【由 緒】 | 当地は古くは藤の名所といわれ、地名もそこからつけられたようであるが、安貞2年(1228)の文書に摂関家領の―つである旨が記されており、嘉元3年(1305)の九條家文書にも「豊藤、藤坂荘」と見え、ふるくから藤原氏との関係が深かったと思われる。 当社の創立年代は不詳であるが、明徳3年(1392)脇屋義治の寄進で社殿を再建したと伝えられている。義治は新田義貞の弟脇屋義助の子で、足利尊氏、上杉一族らと戦って敗れ、奥丹波のこの地に入ったもので、その子孫中馬氏が築いた白藤城(藤坂城)の跡がある。さらに時代は降って文久2年(1862)3月21日社殿を再び造営したとの棟札が残っている。 明治6年、村社に列せられた。 藤坂には県下一の桂の大樹(天然記念物)があり、樹齢1000年と推定されている。この桂の枝葉をいただいて当社の御田祭(5月)が行われるのである。桂の木は勢い強く繁茂するので稲の生育を願って、これを稲に見立て、また本殿の階段を棚田として田植のしぐさをする。おかめ、ひょっとこ、天狗の面をつけた氏子が、田を鋤き、ならし、苗を植える所作をなし、その間、祢宜役の古老が農民と城主の息災を寿ぎ、五穀の豊穣を祈って次の歌を唱する。「おくのたんぼ、くちのたんぼ、天の穂垂れに、寸の米、ところはんじょう、殿よかれ」 |
【宝 物】 | 文久2年社殿再建造営の棟札 |
【例祭日】 | 春日祭=10月17日 |