◆釣殿神社 (つりどのじんじゃ)

鎮座地

奈良市佐紀町西畑2700

電 話

0743-55-1100(宮司宅)

交 通

近鉄西大寺駅東1キロ、バス佐紀町下車

【御祭神】天児屋根命、経津主命、六御縣命、市杵姫命
【由 緒】 当社は旧門外村の氏神であり、天武天皇3年(674)の御造営といわれている式内佐紀神社(奈良市佐紀町字亀畑鎮座)の分神を受け、その流れを汲むものである。
 平安時代以前からこの地域一帯は、平城宮域の北方に所在して大和国最大の村といわれた超昇寺村の内であり、この地に平城天皇の第3皇子高岳親王によって超昇寺が建立されるや、同神社は超昇寺の鎮守神として尊崇され繁栄を極めたが治承4年(1180)平家の軍勢により同神社、超昇寺、超昇寺城等は焼失した。(平家物語「南都炎上」参照)
 治承6年に至ってそれぞれ再建されたが、さらに天正6年(1578)大和郷士井戸若狭守の兵火によって再度焼失。こうした度重なる戦火にかかって衰微するとともに、この超昇寺村も『平城旧社考』によると寛永16年(1639)から元禄15年(1702)までの間に、「門外村」ほか七カ村にそれぞれ分村、独立して行ったのである。
 そしてこの分離後の門外村の氏子達は、現当社境内地に式内佐紀神社の末社なる市杵姫命神社を祀って代々崇拝していたのであるが、天正6年炎上後の佐紀神社再祀に当り、同神社から前掲の三神-天児屋根命、経津主命、六御縣命-の御分霊を受けて、新たに、覆い屋根を造り、釣殿神社として奉斎してきたものであると伝えられている。
 なお氏子中に古くからの当家制度があり、1年交替で2人1組の当家が神社の運営、祭祀の手伝いに奉仕している。
【宝 物】鉄製セミ灯籠1対
【例祭日】10月10日