◆玖島 春日神社 | (くしま かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
大村市玖島2-456 |
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電 話 |
0957-52-4667(宮司宅) |
交 通 |
JR大村駅より徒歩15分 |
【御祭神】 | 天児屋根命、武甕槌命、経津主命、姫大神、藤原鎌足 |
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【由 緒】 | 寛永17年(1640)の創建になる。大村藩2代藩主大村純頼は、元和5年(1619)に28歳の若さで急逝した。そのため純頼の遺児松千代(当時2歳)が跡目相続することとなったが、この松千代自身も生死の境をさまようほどの重病に臥してしまった。これを憂えた松千代の母寿徳院は、我が子の病気平癒と跡目相続の叶うことを、藤原姓大村氏の祖神と崇める奈良春日大社へ祈願した。 その甲斐あって、愛児の病気は平癒し、跡目相続も成ったことを深く感謝して、春日大社の分霊を大村城下の草場丘に祀ることとなった。これが当神社の濫觴である。 創建当時の社殿は、奈良の本社にならって総朱塗であった。殊に当神社は、藤原一門の祖神を祀っていることから大村氏の篤い信仰をうけ、領内総社という領内での最高位の社格を授かり、例祭日には藩主の代参があり、その行列には神馬、鉄砲10挺、弓10張、長柄10筋が供奉した。社領8人扶持、年間の祭祀料は米8俵、銀100目が藩主より支給された。 当神社は、大村氏の始祖が藤原一門(藤原純友)に属したため、藤原一門の氏神春日社の分霊を奉斎したとするものの、最近の大村氏の系譜研究の進展に伴い、大村氏は従来言われてきた藤原一門ではなく、平家一門であったことが定説化しつつある。 しかしそうであっても、江戸期に大村氏を藤原姓とする系譜が成立したことは事実である。その伝承に基づいて藤原氏の祖神春日社を祀ったのであり、何ら当神社の由緒を汚すものではない。 社家は代々御厨家が務めたが、明治以降離職し、現在は大村神社宮司の兼務するところとなり、旧城下の久原分の氏神として現在に至っている。 社地は大村市街地を一望できる丘に立地し、第一鳥居前には、江戸時代、長崎に往米する旅人で賑わった長崎街道が通っている。なお境内下手には、天台宗旧円融寺の裏山に作庭され、現在国の名勝に指定されている枯山水・旧円融寺庭園がある。 |
【例祭日】 | 10月15日 |