◆紐差 三輪神社 (ひもさし みわじんじゃ)

鎮座地

平戸市紐差町字沖ノ島1614

電 話

0950-28-0058(宮司宅)

交 通

西肥バス平戸バスターミナル下車、同バス志々伎または宮ノ浦行、紐差下車徒歩2分

【御祭神】大物主命、大己貴命、天児屋根命
【由 緒】 当神社は、大和国三輪大明神の神主飛弾正が南北朝の争乱を憂い、延文2年(1357)に三輪大明神の分霊を肥前国下松浦郡平戸木ヶ津沖の島に奉遷したことに始まり、その際、家来佐々木治部、船頭未内角内の両名が随従したといわれる。
 この三輪社の鎮座を村民達も大層喜び、飛弾正はその神主として、また従者二名も三輪社へ神務することとなり、島内へそれぞれ屋敷を構えた。その後飛弾正は島内の紐指(差)へ移り住み姓を三輪氏と改めたことに伴い、応安3年(1370)に、この紐指の地にも改めて社を建立し、素戔鳴命を勧請して鎮守の神と崇めるに至った(素戔鳴神社)。
 文禄年間の朝鮮出兵に際しては、領主松浦肥前守鎮信公の出兵に当神社神主三輪三右衛門も従軍し、我が軍の戦勝を祈願した。朝鮮出兵よりの無事帰還がかなったため、領主松浦氏は当神社へ格別の篤い信仰を寄せることとなった。
 寛永2年(1625)には、藩主より社領2石を賜わっている。神主三輪氏は南北朝期に当島に定着以来、三輪社社家として奉仕してきたが、江戸期に入り、三輪甚太夫の家督相続後、下松浦郡宝亀村にも猿田彦神社を勧請した。またその弟三輪庄太夫は根獅子村へ分家し、若宮大明神を創建した。
 その後領内へ急速に広まったキリスト教対策として、三輪甚太夫の子息九太夫は、類別方改役となり、キリシタン探索にあたった。
 当社の御祭神に天児屋根命が並祀されていることについては、その経緯等不詳である。
【宝 物】境内地は「平戸の沖の島樹叢」の名称で長崎県指定天然記念物(昭和51年指定)
【例祭日】秋季大祭=10月20日
【祭祀】新年祭=1月7日/祈年祭=2月16日/酉ノ日祭=11月初酉日/新嘗祭=11月22日