◆倭文神社 (しずりじんじゃ)

鎮座地

奈良県奈良市西九条町273

交 通

JR/近鉄奈良駅からバス「大和ハウス」下車、徒歩約5分

【御祭神】武羽槌雄命 経津主命 誉田別命
【由 緒】 大字西九条字辰市にあり、祭神は武羽槌雄命・経津主命・誉田別命(応神天皇)。明治15年の村誌には仁徳天皇も加えられている。神護景雲2年11月9日中臣時風・秀行が勧請した。
境内二百四十坪、東西十六間、南北十五間、氏子八十戸。
 大和名所図絵に曰く、「倭文社しずりのやしろ、北ほとりにあり、俗にひずりのやしろという」。倭文のシズリは、しずのおだまきの倭である。人身御供の伝説があった。
 明治15年の村誌によると祭日は旧8月24日であった。境内には石灯籠19基、石狛犬一対、木狛犬一対、鉄釣灯籠一基、鉄花生一対、石手水鉢一基がある。瓦製の狛犬が一対あり、一つには「天明七年細工瓦ふきし平兵衛」、他の一つには「細工横平・瓦師平四郎」と刻まれてあり、いずれも高さ一尺二寸三分で、下台は一尺七寸五分に六寸七分、厚さ一寸五分である。
【例祭日】10月第二日曜
【芸能・特殊神事】蛇祭
 倭文神社の蛇祭は、数百年以前より行われている奇習である。毎年陰暦8月25日に、村の若者連中は揃いの欝金の手拭で鉢巻をして、長さ七・八間、周り一間半位の柴で造った細長いものを村中引き廻り、最後に倭文神社へ持って行き樹にくくりつけて置く。しばらくすると太鼓の音と共に御渡りがある。この御渡りが奇で、神官が二人の子供を連れてくる。そろそろ式が始まると土で造った菓子・人形・花餅・御幣等が供えられるが、終には、里芋(赤いずいきで蛇形)で造った蛇が渡る。この時2、30人の若者は、先に持って来た柴の長く束ねたものへ火を点し、これで式が終わるのである。また、神前で5、6才の小児の角力がある。
 この蛇祭の起源を聞くと、数百年前には、この村は山であったそうで山の頂上に神社があった。即ち、今の倭文社である。毎年、男の子供がある家に屋根に白羽の箭が立つ。そうすると箭の立った家の者どもは、互に鬮引をする。当たった者の子は神に献げねばならない。惜しく悲しいがしかたがない。陰暦8月25日の夜に社に捧げるが翌日行けば必ずいない。この小児は何ものかに食われてしまうのだ。数十年来毎年一人ずつあげていたが、或る時一人の僧がこの村にきた。哀れに思って、当日、自分が代わって行って大蛇を殺したと云うので、今なお祭礼に蛇を出すのだそうである。
 因にこの僧は理源大師と云って今なお堂がある。また蛇を埋めた処は蛇塚といって一つの塚と社がある。(諸国奇風俗を尋ねて、松川三郎氏著)