◆川北 春日神社 | (かわきた かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
篠山市川北578−1 |
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電 話 |
079-593-0500 |
交 通 |
JR福知山線篠山口より北へ車で20分 |
【御祭神】 | 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、姫大神、五男三女命、稲倉魂、応神天皇 |
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【由 緒】 | 徳川四代将軍家綱の時代、霊元天皇寛文十一年辛亥(一六七一)九月吉祥日に創立。時の篠山城主は松平駿河守、当地の郷代官は秋田十左衛門、大工は播州明石清原、田中八郎右衛門と伝えられ、当時は大円寺住職が別当職として管理していたと思われる。光格天皇の文化六年巳年(一八〇九)、青山下野守の代に、大工大沢村谷田友三良により社殿が再建されている。 明治六年に南河内村村社に列せられ、後村社八柱神社、無格社稲荷神社、八幡神社を合祀した。 境内には、寛政三年(一七九一)九月建立の石灯籠、以前は木造であったが、明治三十八年に日露戦争の戦勝祝の石造鳥居がある。 十月九日の例祭は、当番二名、手伝二名、東講一名、西講一名の計六名が神事の奉仕を行う。 午後二時に村内の氏子全員各人、餅十二個(閏年には十三個)を神前に奉納、当番らは黒大豆枝五十本、大根葉五十本、栗五十個、渋柿五十個、にしめとして竹輪、牛蒡、焼豆腐、里芋、こぶ巻を整える。神様には、餅三升分を整え、鳥居前に春日神社の樴を立て、社前には大提灯七本を準備する。 これに先立ち、十二歳までの子供(男子)は、朝氏子一軒ずつを廻り、荒神祓の祈禱、村内安全を祈願する。祈願する家は、昔神社が創建された当時の氏子区域であった、川北下新田、同上新田の両部落(計百軒)である。 本殿での祭典が行われたあと、直会、餅撒きがあり、午後五時頃すべてが終了する。 また十二月十五日の講頭祭は、当番が米八升、小豆二合を煮つめ、モッソ五十個を講員に供する。 本殿には生魚三匹ずつを供え、末社の小宮さん(三社)には、本神の家来ということで木板に鍾馗さんの絵をかいたものを置き、祭りを行う。 当日の食物は、竹輪、黒豆、牛蒡、昆布巻など、当番の順送りについては、樒を四本用意して次の当番が一年間無事であるように祈る。 祭事の費用は、部落の講頭田七畝から収穫する米四斗をもって一切を賄う。 |
【例祭日】 | 10月9日 |
【祭祀】 | 伊勢講=2月1日/愛宕講=2月24日(5年目ごと)/伊勢講=5月1日(5年目ごと)/豊作祈願祭=7月1日/八幡神社祭・お日待神事・新作米奉納=9月15日/講頭祭=12月15日 |