◆東中 春日神社 (ひがしなか かすがじんじゃ)

鎮座地

大和高田市東中14

電 話

0745-52-6855(宮司宅)

交 通

近鉄南大阪線高田市駅下車西南へ徒歩15分

【御祭神】天児屋根命
【由 緒】『大和高田市史』によれば、昭和二十七年九月十六日付、当社の宗教法人法による届出書に、「創立建久五甲寅年(一一九四)、境内二七〇坪、氏子四八戸、信徒二六〇人、例祭十二月二十七日」とあり、当時の古老の言によれば、当社本殿の下方に高さ四尺ほどの三角錐型凝灰岩が御祭神の依代として埋められている、と記されている。
当社の鎮座地、昔は大字東中字甲子垣内一四であるが、同じ東中の字村内五三九に鎮座の素戔嗚命を祀る杵築神社は立派な春日造の社殿で、寛政五年(一七九三)の石灯籠に「春日社常夜灯降雨願成就」と彫られており、ここでも十二月二十七日に春日祭が行われる。
この春日神社と杵築神社が併存する東中という土地は『奈良県地名辞典』によると、延久二年(一〇七〇の『興福寺雑役免帳』に見える「宿院庄」と考えられ、春日社参の藤原一族の奈良の宿舎「宿院」の用途にあてられた庄園であった可能性が濃い。そのような土地柄から杵築神社にも以前は春日の神が祀られていたのが、明治維新の神社制度改革により、春日神社の方へ合祀されたことも考えられる。
現在当社は東中の中央、春日町の北に南面して鎮座するが、数十年前は広い境内に二抱えもあるマツやエノキの大木が生い茂った神厳な神城だったという。境内のあちこちに石灯籠の台座や各部の残欠が散乱しているが、その中に半ば土中に埋れた竿石に「昭和十五年十二月十三日献灯、合併記念浮孔村」の銘が見られる。浮孔村が高田町に合併された時、記念に奉納されたものである。
【例祭日】12月27日